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皇道義会

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皇道義会(こうどうぎかい)は、1918年大正7年)7月に衆議院議員・石井三郎が設立した思想普及団体。

概要

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大正デモクラシーによって、日本民族の伝統精神・士道が頽廃するのではないかと危惧した石井三郎が、山縣有朋寺内正毅田健治郎らの賛同を得て設立した団体である。総裁に田中義一、顧問に荒木貞夫が就いた。

当初は東京府赤坂区仲之町に本部を置いた。1925年(大正14年)5月、千駄ヶ谷(現在の新宿御苑裏門近く)に本部を移し、大講堂武道場を設けた。1945年(昭和20年)の空襲で皇道義会の本部は焼失した。

皇道義会東京東武館

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石井が北辰一刀流剣術の道場水戸東武館の出身であったことから、道場名は「皇道義会東京東武館」と名付けられた。顧問に高野佐三郎中山博道、名誉師範に斎村五郎持田盛二大島治喜太ほか当時の有名な剣道家が名を連ねたという。実際に指導に当たったのは、初代師範市毛正平内藤高治の甥)であった。市毛没後、第2代師範を小澤豊吉(元水戸東武館第3代館長)が務めた。後に薙刀部も設けられ、直心影流薙刀術園部秀雄が師範となった。

皇道義会が春秋2回開催した「皇道義会武道大会」は、武徳祭大演武会済寧館剣道大会に次ぐ規模と権威を持ち、1933年昭和8年)にはラジオ中継されたという。しかし、第二次世界大戦により戦地に赴く者が増え、道場で稽古する者も次第に減っていき、武道大会も1943年(昭和18年)が最後となった。

主な門人、小室等、青木秀男、柳沼鉄水、谷島三郎

参考文献

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  • 堂本昭彦『中山博道有信館』199頁、島津書房
  • 月刊剣道日本』1990年3月号 「逸品物語」最終回、スキージャーナル

関連項目

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