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燕侯克

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
燕侯克
王朝
姓・諱 姞克
召公奭

燕侯克(えんこうこく、生没年不詳)は、の初代君主。姓は姞、名は克。召公奭の子とみられる。『史記』など伝世文献に見えず、北京市房山区瑠璃河遺跡出土の青銅器「克罍」や「克盉」の銘文によって、名を知られる。周王により燕に封じられ、羌・馬・𠭯・雩・馭・微の諸族を率い[1]、官吏とともに燕に下向した。

脚注

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  1. ^ この部分について、佐藤[2016]P54は「羌・馬・𠭯・雩・馭・微の諸族を仕えさせよう」といい、岡村[2008]P186は「旗・羌・馬・𠭯・盂・馭・微を監視せしむ」という。

参考文献

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先代
召公奭
の君主
紀元前11世紀後半
次代
燕侯旨