渋沢元治
渋沢 元治(澁澤 元治[1]、しぶさわ もとじ、1876年(明治9年)10月25日 - 1975年(昭和50年)2月22日[2])は、日本の電気工学者。工学博士[3][4][5]。東京大学教授、同大学名誉教授[2]。名古屋帝国大学初代総長(1939年 - 1946年)。子爵・渋沢栄一の甥で孫婿にあたる。義父は男爵・穂積陳重。義兄に穂積重遠。
来歴・人物
[編集]埼玉県榛沢郡血洗島村(のち大里郡八基村血洗島、現深谷市血洗島)の農家(旧名主の家系)に生まれた。渋沢市郎の長男[1][3][4]で、母貞子の実兄が渋沢栄一である。高等小学校卒業後、進学を親に反対されるも進学を決意する。ただ、尋常中学は当時の埼玉にはなかった[6]ために上京、栄一の娘婿である大蔵省の阪谷芳郎邸で書生をしながら、一旦成立学舎に入学、12月に東京府尋常中学合格が決まり、同校2年次に編入学した。同級生に児玉秀雄らがいた。
同校卒業時、第一高等中学校への推薦が叶わず、日本中学5年次入学、荒川文六が同級生にいた。その後、受験勉強に励み第一高等学校(高等中学校から高等学校に改組)入学。東京帝国大学工科大学(電気工学科)卒業[7]。
東大卒業後、当時は新進分野であった電気界に身を置くことを考え、伯父の栄一も反対したが、逓信省技師になる。逓信省在任中は、電気試験所第1部長、同第3部長、電気局技術課長を歴任した[8]。この間に、電気事業法や電気設備技術基準の前身である電気工作物規程の制定、電気主任技術者制度の改革に尽力した[8]。その後、東京帝国大学教授、同工学部長を経て[8]、名古屋帝国大学初代総長に就任する[7][8][9]。
日本の電気保安体制の確立に貢献し、電気界に澁澤賞が設けられた[8][10]。1955年、文化功労者[2][7][8]。趣味は謡曲[1][3][4]。
栄典
[編集]- 1919年(大正 8年)8月11日 - 正五位[11]
- 1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章[12]
- 1934年(昭和9年) - 正三位
- 1937年(昭和12年) - 正二位
- 1943年(昭和18年) - 勲一等瑞宝章
家族・親族
[編集]- 渋沢家
- 父・市郎[5](1847年 - 1917年) - 住所は埼玉県大里郡八基村血洗島。
- 母・貞(1852年 - 1910年) - 渋沢栄一の妹[5]
- 弟・治太郎(1878年 - 1942年)[4]
- 妻・孝子(1887年 - 1955年)[4] - 穂積陳重と歌子の長女
- 歌子は渋沢栄一の長女、すなわち元治の従姉である。
- 長男・享三(1913年 - ?)[1] - 澁澤社長
姻族関係系図
[編集]徳川宗賢 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
松方冬子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浅尾荘一郎 | 陽子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(長女) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
児玉源太郎 | ナカ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
穂積重行 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾高惇忠 | 尾高次郎 | 穂積重遠 | 岩佐美代子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾高朝雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尾高勝五郎 | 渋沢平九郎 | 文子 | 久留都茂子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
穂積陳重 | 咲子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
やへ | 千代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
歌子 | 芳賀檀 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢市郎右衛門 | 渋沢栄一 | 芳賀矢一 | 敏子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
穂積真六郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
穂積律之助 | 磯野富士子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
孝子 | 磯野誠一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢貞子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(女子) | 渋沢元治 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢市郎 | 光子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
須永惣次郎 | 須永伝蔵 | 石黒孝次郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石黒忠篤 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
晴子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三枝子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
市河三喜 | 長谷川三千子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野上豊一郎 | 野上耀三 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野上弥生子 | 野上素一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
千葉亀之助 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(女子) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渋沢文平 | 渋沢成一郎 | (女子) | 野上茂吉郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高野房太郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高野岩三郎 | 正子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バルバラ・カロリナ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
星野辰雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
穂積重樹 | 穂積重頴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
穂積八束 | 万亀子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
穂積重威 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浅野総一郎 | マツ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
桜井小太郎 | 安芸子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浅野泰治郎 | 穂積秀二郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寿賀子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
板垣退助 | 千代子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
箕作佳吉 | 箕作新六 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(参考文献)『閨閥』、『日本人なら知っておきたい名家・名門』、『御侍中先祖書系圖牒』、『土佐の墓』、『板垣精神』
脚注・出典
[編集]- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』シ46 - 47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月24日閲覧。
- ^ a b c 渋沢 元治とはコトバンク。2021年2月24日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第15版 上』シ11 - 12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 上』シ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月25日閲覧。
- ^ a b c 『八基村郷土誌』100 - 101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月25日閲覧。
- ^ 埼玉県内の旧制中学のうち創立年の最も早い私立埼玉尋常中学校(1886年創立)は、1897年までは中学校令に基づく中学校でない私立埼玉英和學校であった。
- ^ a b c “ちょっと名大史 名古屋帝国大学初代総長澁澤元治関係資料”. 名古屋大学. 2021年7月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “澁澤賞について”. 日本電気協会. 2021年7月10日閲覧。
- ^ 一般社団法人日本電気協会 澁澤賞 パンフレット 「澁澤博士年譜」
- ^ 一般社団法人日本電気協会 澁澤賞 『澁澤元治伝』
- ^ 『官報』第2106号「叙任及辞令」1919年8月11日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
参考文献
[編集]- 鈴木徳三郎編『八基村郷土誌』栗田宗次、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
外部リンク
[編集]- 五十年間の回顧(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)渋沢元治著、渋沢先生著書出版事業会
学職 | ||
---|---|---|
先代 青柳栄司 |
電気学会会長 11代:1924年 - 1925年 |
次代 稲田三之助 |