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清風亭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清風亭(せいふうてい)は、幕末長崎に存在した料亭坂本龍馬土佐藩参政・後藤象二郎が会談したことで知られている。

清風亭会談

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慶応3年(1867年)1月13日に土佐藩士・溝渕広之丞松井周助の斡旋により、坂本龍馬と後藤象二郎が会談。土佐藩は龍馬らの脱藩を赦免し、亀山社中を土佐藩の外郭団体的な組織とすることが決まり、これを機として4月上旬頃に亀山社中は「海援隊」と改称した。この会談には、後藤象二郎の計らいで、長崎の芸妓・お元も同席していたといわれている。

場所

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長い間、正確な場所は不明だったが、大光寺(鍛冶屋町)の過去帳や明治初期の榎津町の地図などから、平成21年(2009年)に場所(旧榎津町65番地、現在の長崎県長崎市万屋町5番11号一帯)が特定された(『清風亭跡 板碑より抜粋』)[1]

脚注

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  1. ^ 長崎龍馬の道--19 清風亭跡”. 長崎龍馬だより. 2022年1月21日閲覧。