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浦川麗子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うらかわ れいこ
浦川 麗子
本名 浦川 麗子[1][2]
生年月日 (1931-08-20) 1931年8月20日(93歳)
出身地 日本の旗 日本岡山県井原市井原町
職業 女優・声優
ジャンル 舞台・テレビドラマ・ラジオ・吹き替え
受賞
第5回女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞入賞『幕が上がる』[3]
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浦川 麗子(うらかわ れいこ[4]1931年8月20日[4][5][1] - )は、日本の女優声優岡山県井原市井原町出身[5][注釈 1]福島県立女子高等学校卒業[6]國學院大學文学部国文科中退[4][1]

来歴

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高校在学中は演劇部で活動し、アマチュア劇団の福島演研にも所属していた[6]。NHK福島放送劇団に入り、プロとしての活動を開始[1]。高校卒業後は上京し[6]、劇団廿世紀[4][注釈 2]劇団こまどりを経て[4][1]、1952年[4]ラジオ東京放送劇団に2期生として入団[7]。1959年に退団した後は東京俳優生活協同組合を経て[4]、1969年4月に文学座に入団[2]

1955年から放送が開始されたラジオ番組『ポポン・ミュージック・レター』の司会を志摩夕起夫とともに担当[8]。志摩がアナウンサ―では声が型にはまっていて面白くないので、家庭の奥様のような艶のある人の起用を要望したため、浦川が起用された[8]。放送から半年ほどは経験の浅い浦川を志摩がリードすることが多かったが、放送が続く中で浦川が志摩をリードすることも多くなった[8]

番組が数年にわたって放送され、交際疑惑なども起きたが、浦川と志摩は仕事以外の付き合いは放送が開始した頃に数回お茶を飲んだ程度であり、その後はお互いのスケジュールの都合もありスタジオ以外で顔を合わせたことも無いと述べている[8]

第5回女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞に『幕が上がる』で入賞した[3]

出演

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映画

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テレビドラマ

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舞台

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  • 津和野(1968年) - マリヤの声[10]
  • メアリー・スチュアート(1968年) - ハンナ[11]
  • 欲望という名の電車(1969年) - 看護婦[12]
  • 阿Q外伝(1969年) - 太太[13]
  • 冬の花(1970年) - 八杉夫人[14]
  • 華岡青洲の妻(1970年) - 於沢[15][注釈 3]
  • にごりえ(1972年) - たよ[16][注釈 4]
  • 七本の色鉛筆(1973年) - 恵子[17]

ラジオドラマ

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吹き替え

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脚注

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注釈

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  1. ^ 福島県出身としている資料もある[6]
  2. ^ 劇団女世紀と記載している資料もある[1]
  3. ^ 田代信子とのダブルキャスト[15]
  4. ^ 荒木道子とのダブルキャスト[16]

出典

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  1. ^ a b c d e f 「新桜オールスタァ名鑑」『芸能画報』4月号、サン出版社、1958年。 
  2. ^ a b 『日本タレント年鑑70』日本タレント年鑑刊行会、1970年、182頁。 
  3. ^ a b 芸能学会(編)『芸能』4月号、芸能学会発行所、1984年4月、54 - 55頁。 
  4. ^ a b c d e f g 『タレント名鑑NO2』芸能春秋社、1963年、119頁。 
  5. ^ a b 山陽新聞社会 編「岡山県出身人名鑑(い・う)」『山陽年鑑』山陽新聞社、552頁。 
  6. ^ a b c d 福島市史編纂委員会 編「第八章 演劇」『福島の文化』岩瀬書店〈福島市史 別巻VII〉、953 - 954頁。 
  7. ^ 「今月の芸能」『新婦人』6月号、文化実業社、1959年、125頁。 
  8. ^ a b c d 「日曜日に時間だけの恋人」『新婦人』1月号、文化実業社、1959年1月、188頁。 
  9. ^ a b c 「テレビの話題・テレビスタアの演技」『芸能画報』1 2月号、サン出版社、1957年。 
  10. ^ 芸能学会(編)『芸能』10月号、芸能学会発行所、1968年10月、57頁。 
  11. ^ 芸能学会(編)『芸能』1月号、芸能学会発行所、1969年1月、48頁。 
  12. ^ 芸能学会(編)『芸能』8月号、芸能学会発行所、1969年8月、51頁。 
  13. ^ 芸能学会(編)『芸能』10月号、芸能学会発行所、1969年10月、49頁。 
  14. ^ 芸能学会(編)『芸能』5月号、芸能学会発行所、1970年5月、48頁。 
  15. ^ a b 芸能学会(編)『芸能』8月号、芸能学会発行所、1970年5月、57 - 58頁。 
  16. ^ a b 芸能学会(編)『芸能』2月号、芸能学会発行所、1970年2月、51 - 52頁。 
  17. ^ 芸能学会(編)『芸能』5月号、芸能学会発行所、1973年5月、64頁。 
  18. ^ 佐々木恵美子「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」『明朗ラジオドラマ集』英宝社、1962年、2頁。 
  19. ^ 伊藤海彦 (1966). “放送記録”. 吹いてくる記憶 : 放送詩劇集. 思潮社. p. 306 
  20. ^ 「教界一覧」『大乗』9月号、大乗刊行会、1961年9月、75頁。