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浜崎正人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜崎 正人
基本情報
出身地 日本の旗 日本 鹿児島県
生年月日 1944年10月9日
没年月日 (2003-05-01) 2003年5月1日(58歳没)
身長
体重
174 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1963年
初出場 1965年
最終出場 1969年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

浜崎 正人(はまさき まさと、1944年10月9日 - 2003年5月1日[1])は鹿児島県出身の元プロ野球選手

来歴・人物

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鹿児島商業では2年生でエースとなる。1961年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、東条文博のいた鹿児島実に敗れた。1年上のチームメートに遊撃手篠原良昭がいる。翌1962年夏の甲子園に出場。天理高広陵高を連続完封し準々決勝に進出するが、中京商林俊宏三輪田勝利らの継投に抑えられ敗退した[2]。同年の岡山国体でも準決勝に進むが、石川洵(立大鐘紡)、村上公康のバッテリーを擁する西条高に惜敗。高校同期に三塁手中原全敏中堅手下須崎詔一がいる。

1963年阪急ブレーブスに入団、シュート主体の投球で貴重な左腕投手として期待される。当初は伸び悩むが、1965年に一軍初登板。1966年には自己最多の21試合に登板、シーズン中盤からは先発に起用され、9月には救援ながら初勝利もあげる。しかしその後は登板機会も減り、1970年11月の第1回選抜会議(トレード会議)の対象となり、阪神タイガースに移籍するも、一軍での登板は無く1971年限りで引退した。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1965 阪急 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 19 3.2 7 1 2 0 0 3 0 0 4 4 9.00 2.45
1966 21 6 0 0 0 1 4 -- -- .200 210 48.2 55 3 19 2 2 27 1 0 20 18 3.31 1.52
1967 10 2 0 0 0 0 0 -- -- ---- 55 11.0 17 2 4 0 1 8 0 0 12 10 8.18 1.91
1968 6 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 31 5.2 9 3 6 0 0 6 0 0 6 4 6.00 2.65
1969 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 11 2.0 2 0 3 0 0 2 0 0 3 3 13.5 2.50
通算:5年 43 8 0 0 0 1 4 -- -- .200 326 71.0 90 9 34 2 3 46 1 0 45 39 4.94 1.75
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 68(1963年)
  • 48(1964年 - 1965年)
  • 34(1966年)
  • 31(1967年 - 1970年)
  • 46(1971年)

脚注

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  1. ^ 『阪急ブレーブス 黄金の歴史 1936-1988』ベースボールマガジン社、2011年、P125
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

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