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泉大助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
泉大助
いずみ だいすけ

泉 大助
生誕 荒磯 和行
(1927-03-19) 1927年3月19日
死没 (2012-02-28) 2012年2月28日(84歳没)
死因 肝臓がん
国籍 日本の旗 日本
職業 タレント、司会者
活動期間 1960年 - 2012年
身長 173 cm (5 ft 8 in)(1963年時点)[1]
テレビ番組ズバリ!当てましょう[2]
配偶者 あり[2]
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泉 大助(いずみ だいすけ、1927年3月19日[2][1][3] - 2012年2月28日)は、日本タレント、テレビ番組司会者。本名は荒磯 和行(あらいそ かずゆき)[3]

来歴・人物

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静岡県生まれ。1948年慶應義塾大学経済学部卒業[2][1][3]舞台芸術学院[1][3]、はちの会を経て[3]、1955年TBS放送劇団所属を経て[2][1][3]1957年頃CMタレントに転身する。1959年からフリーランスで活動[1]

松下電器産業(現・パナソニック)と専属契約を結び[1]、同社のコマーシャルに多数出演したほか、同社提供の長寿クイズ番組『ズバリ!当てましょう』(フジテレビ)の司会をつとめた。中でも松下電器のCMは長年にわたって務めてきた。

そのため、「ナショナルの顔」と呼ばれ、東芝押阪忍日立高橋圭三と共に「家電CMの顔」とも呼ばれた。ほかにも、「清酒大関」などのCMにも出演した。その後テレショップ番組の司会を担当する等活躍し、長男の会社の手伝いをしていた。開局記念等の特番で呼ばれる事もあった為、会社の手伝いの傍ら、晩年まで現役のタレントとして活動を続けていた。

2012年2月28日、肝がんのため死去[4]。84歳没。

出演していた番組

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テレビ

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ほか

CM

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ほか

テレビドラマ

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吹き替え

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  • 平原児シスコ・キッド(1957年、ラジオ東京テレビ) - ボブ―[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『タレント名鑑NO1』芸能春秋社、1963年、11頁。 
  2. ^ a b c d e 『新日本紳士録 全国篇 第2版』本田秘密探偵社、1966年、209頁。 
  3. ^ a b c d e f 「新桜オールスタァ名鑑」『芸能画報』3月号、サン出版社、1958年。 
  4. ^ 「ズバリ!当てましょう」の泉大助氏が死去 読売新聞 2012年2月29日閲覧
  5. ^ 全日本CM協議会 編『CM25年史』講談社、1978年1月15日、140 - 141頁。NDLJP:12025175/75 
  6. ^ 『小説倶楽部』三月特大號、桃園書房、1957年3月。