池ノ内亮介
広島時代 (2015年8月29日 阪神鳴尾浜球場にて) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県伊賀市 |
生年月日 | 1988年11月22日(36歳) |
身長 体重 |
175 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 育成選手ドラフト2位 |
初出場 | NPB / 2014年7月15日 |
最終出場 | NPB / 2014年9月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
派遣歴 | |
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この表について
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池ノ内 亮介(いけのうち りょうすけ、1988年11月22日 - )は、日本の警察官、元プロ野球選手(投手)。右投右打。三重県伊賀市出身。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]三重県伊賀市立中瀬小学校時代、1年生の頃に中瀬ヒュービーズに入部し野球を始める。同桃青中学校時代には伊賀ボーイズに所属し、遊撃手としてプレー。高校はプロ野球出身者も多い岐阜県にある中京高に進学。当時は、外野手兼控え投手であった。同期に高森勇気、大抜亮祐がいた。中京学院大学に進学すると、本格的に投手に転向。チームでは二番手ながら先発の柱として活躍。中日ドラゴンズの二軍と対戦した際、直球だけで1イニングを無失点に抑えたこともあり、中日をはじめプロのスカウトも視察に訪れるようになる。
スピードのあるピッチングが評価されたことから、2011年の育成ドラフト会議で、広島東洋カープから2巡目で指名[1]。育成選手として入団した。入団当初の背番号は「121」で、1993年に硬式野球部を創部した中京学院大の選手が(支配下登録選手を含めて)ドラフト会議でNPBの球団から指名されたのは初めての事例。東海地区大学野球岐阜学生リーグから直接ドラフトで指名されたのは、1993年に埼玉西武ライオンズから2位で指名された後に、同球団と広島に所属した朝日大学の山田潤以来、17年振りであった。
広島時代
[編集]2011年には、ウエスタン・リーグ公式戦1試合に登板。しかし、シーズン終盤から参加したフェニックスリーグでは、救援投手として9試合に登板した[1]。
2012年には、前年のフェニックスリーグでの投球内容が評価されたことから、一軍の春季キャンプのメンバーに選ばれた。育成選手による一軍キャンプへの参加は、広島では初めてであった[2]。しかし、シーズン中には一軍公式戦への登板機会がなかった。
2013年には、シーズンを通じて四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツへ派遣されたが[3]、リーグ最多の72与四球、同2位の14与死球を記録する一方で、先発陣の一員として、小林憲幸とともにチーム最多の12勝を挙げた。広島復帰後の11月1日には、育成選手契約から支配下選手契約へ移行することが球団から発表[4]。この移行を機に、背番号を「68」に変更した[5]。
2014年には、7月14日に入団後初めての出場選手登録。翌15日の対横浜DeNAベイスターズ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に中継ぎ投手として一軍デビューを果たすと、1回を無失点に抑えた。一軍公式戦全体でも2試合の登板で失点を喫しなかった。
2015年には一軍公式戦への登板機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告を受けた。
広島退団後
[編集]2015年11月10日にシートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)へ参加した。しかし、対戦した打者3人から二塁打1本を含む2安打を浴びた[6]。
引退後は株式会社トラバース(千葉市)を経て[7][8]、2017年、大阪府警察に入庁。大阪府警察学校卒業後、寝屋川警察署地域課巡査として勤務している[9]。
選手としての特徴・人物
[編集]荒れ球ながら最速151km/hのストレートと130km/h台の高速スライダーを投げるなどスピードのあるピッチングが持ち味。
中京高校時代のチームメイトとして高森勇気(元横浜DeNA)や大抜亮祐(元巨人)がいた。大学の1年後輩には広島でも同僚となる菊池涼介がいる。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2014 | 広島 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 2.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 |
通算:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 2.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 |
記録
[編集]- NPB投手記録
- 初登板:2014年7月15日、対横浜DeNAベイスターズ14回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に2番手で救援登板、1回無失点
独立リーグでの投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
防 御 率 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
投 球 回 |
打 者 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
奪 三 振 |
与 四 球 |
与 死 球 |
失 点 |
自 責 点 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
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2013 | 愛媛 | 2.80 | 23 | 12 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 138.1 | 602 | 115 | 1 | 87 | 72 | 14 | 59 | 43 | 6 | 0 |
通算:1年 | 2.80 | 23 | 12 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 138.1 | 602 | 115 | 1 | 87 | 72 | 14 | 59 | 43 | 6 | 0 |
背番号
[編集]- 121 (2011年 - 2013年)
- 68 (2014年 - 2015年)
- 15 (2013年) ※愛媛マンダリンパイレーツでの背番号
脚注
[編集]- ^ a b Young POWER 池ノ内亮介『週刊ベースボール』2011年11月28日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-11/28, 52-53頁。
- ^ “広島育成・池ノ内が1軍大抜擢”. nikkansports.com. (2012年1月24日) 2012年1月25日閲覧。
- ^ “独立リーグへ!育成選手4投手を派遣”. 広島東洋カープ (2013年3月22日). 2013年3月29日閲覧。
- ^ 池ノ内亮介投手、支配下登録に! 広島東洋カープ公式サイト(2013年11月1日配信)2013年11月4日閲覧。
- ^ 来季の背番号変更について 広島東洋カープ公式サイト(2013年11月1日配信)2013年11月4日閲覧。
- ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日)
- ^ “惜別球人2015【広島】池ノ内 亮介投手”. スポーツニッポン. (2015年12月19日)
- ^ “新入団選手 トラバース野球部”. TRAVERS(トラバース)野球部のブログ. 株式会社トラバース (2018年1月23日). 2018年3月4日閲覧。
- ^ カープ投手から警察官 第二の人生踏み出す 産経新聞(電子版)、2019年5月16日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 池ノ内亮介 - NPB.jp 日本野球機構