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水野範明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
水野範明
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永2年(1773年
死没 文化2年7月22日1805年8月16日
改名 藤次郎(幼名)、範明
別名 内匠助(通称
官位 従五位下出雲守
紀伊新宮藩世嗣
氏族 水野氏(重央流)
父母 水野忠実
兄弟 範明延寿井戸清眦村上喜龍忠雅生駒親章婚約者、諏訪頼伊室、
木下俊隆室、朽木賢綱室、岩本正修室、
永田直住養女ら
松平正温
忠啓、錦
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水野 範明(みずの のりあき)は、江戸時代中期から後期にかけての紀伊国新宮藩紀州藩附家老)の世嗣。通称は内匠助。官位従五位下出雲守

略歴

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7代藩主・水野忠実の長男。幼名は藤次郎。

天明8年(1788年)4月15日、11代将軍徳川家斉に拝謁し、寛政6年(1794年)12月24日には従五位下・出雲守に叙任する。しかし、家督相続前の文化2年(1805年)に早世した。享年33。

代わって、長男の忠啓が紀伊新宮藩の世嗣となり、文政5年(1822年)に忠実が死去すると家督を継いだ。

系譜

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参考文献

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