横井甚四郎
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横井 甚四郎(よこい じんしろう、1860年12月2日(万延元年10月20日[1])- 1909年(明治42年)8月16日[2])は、明治期の実業家・政治家。衆議院議員、愛知県中島郡一宮町長。
経歴
[編集]尾張国中島郡一之宮村(愛知県[2]中島郡一之宮村、一宮町[3][4]大字一宮[1]を経て現一宮市[5][6]一宮など)で、父・甚四郎利蔵の息子として生まれた[3]。1876年(明治9年)愛知県立養成学校(のち愛知第一師範学校)を卒業した[2][4]。
呉服商、蚕糸繭問屋業を営む[2][3][7]。1881年(明治14年)10月、一宮銀行取締役に就任[3][4][6]。一宮貯蓄銀行取締役、一宮清酒専務取締役、一宮米穀取引所理事、一宮紡績監査役なども務めた[3][4][7]。
政界では、一宮学務委員、一宮町会議員、同助役、5郡407ヶ村連合町村会議員、宮田井組連合町村会議員、中島郡会議員、同参事会員、愛知県会議員、同郡部会副議長などを務めた[2][3][4][6][7]。また、1892年(明治25年)12月、1901年(明治34年)4月の2度一宮町長に就任した[2][3][4][6][7]。
1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(愛知県第5区)で初当選[3][7][8]。以後、第10回総選挙まで4回再選され、衆議院議員に通算5期在任した[2][5][6]。この間、立憲政友会院内主事、同協議員などを務めた[5]。議員在任中の1909年8月に死去した[9]。
国政選挙歴
[編集]- 第5回衆議院議員総選挙(愛知県第5区、1898年3月、自由党)当選[8]
- 第6回衆議院議員総選挙(愛知県第5区、1898年8月、憲政党)次点落選[8]
- 第7回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、1902年8月、立憲政友会)当選[10]
- 第8回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、1903年3月、立憲政友会)当選[10]
- 第9回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、1904年3月、立憲政友会)当選[10]
- 第10回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、1908年5月、立憲政友会)当選[11]
脚注
[編集]- ^ a b 衆議院『第二十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報号外〉、1908年、12頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』699頁。
- ^ a b c d e f g h 『衆議院議員候補者評伝』114-115頁。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 初版』425頁。
- ^ a b c 『立憲政友会功労者追遠録』177頁。
- ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』486頁。
- ^ a b c d e 『新撰衆議院議員列伝』122頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』86頁。
- ^ 『官報』第7845号、明治42年8月18日。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』15頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』55頁。