森安多恵子
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森安多恵子 女流四段 | |
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名前 | 森安多恵子 |
生年月日 | 1948年5月5日 |
没年月日 | 2020年8月2日(72歳没) |
プロ入り年月日 | 1976年9月(28歳) |
引退年月日 | 2012年3月31日(63歳) |
女流棋士番号 | 3 |
出身地 | 鹿児島県霧島町 |
所属 | 日本将棋連盟 |
師匠 | 高島一岐代九段 |
段位 | 女流四段 |
女流棋士DB | 森安多恵子 |
2022年7月8日現在 |
森安 多恵子(もりやす たえこ、1948年5月5日 - 2020年8月2日)は、日本将棋連盟に所属していた女流棋士。鹿児島県霧島町(現・霧島市)出身。高島一岐代九段門下。女流棋士番号は3(2011年3月31日までは11)。
人物
[編集]- タイトル挑戦は2回。女流棋士になって間もない1976年に第3期女流名人位戦の挑戦者、79年に第2期女流王将戦で挑戦者となったが、ともに蛸島彰子に退けられている。なお、1976年にタイトル挑戦者となったことで女流1級から女流二段に飛び昇段したが、これは女流棋士で初の事例であった。
- 2011年8月31日、8歳年長の関根紀代子女流五段が現役を引退した。これに伴い、日本将棋連盟所属の現役最年長女流棋士となった。(次に年長者は16歳年少の長沢千和子、LPSA所属では2歳年長の蛸島)
- 2012年1月17日の対局を最後に、3月31日付で現役を引退した。4月1日付で、引退女流棋士昇段規定により女流四段に昇段した。生涯成績は164勝307敗。
- 「おしゃべりインコ」とのあだながあり、また桐山清澄の結婚の仲人をつとめた[1]。
- 2020年8月2日に死去。訃報は約2年後に明らかになり、2022年7月8日に日本将棋連盟が発表した[2]。
昇段履歴
[編集]- 1976年 9月 - 女流1級
- 1976年11月26日 - 女流二段(タイトル挑戦/女流プロ名人位戦)
- 1989年 5月22日 - 女流三段(勝数規定/女流二段昇段後150勝[4])
- 2012年 3月31日 - 現役引退
- 2012年 4月 1日 - 女流四段(引退女流棋士昇段規定)
タイトル挑戦
[編集]タイトル挑戦 2回(獲得0期)
表彰
[編集]- 日本将棋連盟 表彰
- 2001年11月:勤続25年[5]
参考文献
[編集]- 平成21~30年 将棋年鑑棋士名鑑10年分 p230[6]
脚注
[編集]- ^ 能智映『愉快痛快 棋士365日」(日本将棋連盟)P.109
- ^ “訃報 森安多恵子女流四段”. 日本将棋連盟 (2022年7月8日). 2022年12月20日閲覧。
- ^ 「女流棋士昇段規定(FAQ)」『日本将棋連盟』。1998年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 当時の「女流棋士昇段規定」の「勝星による昇段/三段(二段から)150勝」による[3]。
- ^ 「第27回「将棋の日」感謝状・表彰状贈呈者(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2001年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 平成21~30年 将棋年鑑棋士名鑑10年分 - 書籍編集部 - Google ブックス