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柳田貞一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やなぎだ ていいち
柳田 貞一
生年月日 (1895-12-30) 1895年12月30日
没年月日 (1947-07-16) 1947年7月16日(51歳没)
出生地 日本の旗日本東京府東京市深川区(現在の東京都江東区
職業 俳優歌手
ジャンル 劇映画現代劇時代劇トーキー映画
活動期間 1918年 - 1947年
主な作品
エノケンの近藤勇
『忠臣蔵』
『エノケンの孫悟空』
人生とんぼ返り
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柳田 貞一(やなぎだ ていいち、1895年12月30日[1] - 1947年7月16日)は、日本の俳優歌手東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)出身。

大正時代浅草オペラで活躍。「エノケン」こと榎本健一の師匠として知られる。

経歴・人物

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小学校を卒業後、三越百貨店の少年音楽隊に入ったのち、「原信子歌劇団」に入団、第1回公演『セヴィラの理髪師』で初舞台。

1920年、「根岸大歌劇団」に参加し、浅草オペラ全盛期に歌手ボードビリアンとして活躍し、作曲も手がけた。1923年関東大震災後の浅草オペラ凋落期を経て1930年、弟子の榎本健一らと「ピエル・ブリヤント」、「プペ・ダンサント」を旗揚げ。その後は「エノケン一座」の重鎮として舞台と映画に数多く出演した。

戦後間もない1947年7月16日、胃癌のため急死。享年51。

エピソード

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弟子であるエノケンよりもかなり酒乱らしく、古川ロッパの『昭和日記』によると1934年、ロッパが一杯酒を飲みたくなったため、酒場「甲子郎」へ行った。酒場には活動弁士山野一郎もいた。酒を飲もうとしたところに乱酔した柳田が入って来て、いきなりロッパに「何でえ古川緑波め、セヴィラのことを何故あんなこと書きやがった!?」と言ってきた。エノケンが演じた『セヴィラの理髪師』の批評をロッパが書いたと言うのだ。ロッパが「そんなもの書いた覚えはない」と言うも柳田は激怒して「この野郎、嘘つきめ!!︎何でえ、貴様ピアノ弾けるか!?」、「今夜は山野一郎がいるから我慢してるんだ!!︎」などと意味不明な暴言を吐いていたという。あまりにも無礼極まると思ったロッパは「こっちゃシラフで、そっちが飲んでちゃ喧嘩にならねえ、乃公あ帰る」と言って酒場を後にした。ロッパは帰宅後、旬報の批評を出して読んでみると、飯島正が『セヴィラの理髪師』を批評していることが書いてあるのを見つける。そのページの上欄にロッパが「エノケンを評す」と書いてあって、それを柳田が間違えて錯覚していたことが判明した。

レコード

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出演映画

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  • エノケンの青春酔虎伝(1934年、P.C.L.)- 榎本の父
  • エノケンの魔術師(1934年、P.C.L.) - バット座の支配人・堀内
  • エノケンの近藤勇(1935年、P.C.L.) - 中岡慎太郎
  • エノケンのどんぐり頓兵衛(1936年、P.C.L.) - 深見頼母
  • エノケンの千万長者(1936年、P.C.L.)- 伯父さん
  • エノケンの江戸っ子三太(1936年、P.C.L.) - 新蔵
  • 江戸っ子健ちゃん(1937年、P.C.L.)- お祖父さん
  • エノケンのちゃっきり金太(1937年、P.C.L.)- 上州屋亭主
  • エノケンの猿飛佐助(1937年、東宝映画東京)- 真田幸村
  • エノケンの風来坊(1938年、東宝映画東京) - 親分
  • エノケンの法界坊(1938年、東宝映画東京) - 甚三
  • 愛情一路(1938年、東宝映画東京)- 岩藤老人
  • エノケンの大陸突進(1938年、東宝映画東京)- 社長・金山寛
  • エノケンのびっくり人生(1938年、東宝映画東京)- 監督
  • エノケンのがっちり時代(1939年、東宝映画東京) - 監督
  • 忠臣蔵(1939年、東宝映画東京) - 大工吉五郎
  • エノケンの鞍馬天狗(1939年、東宝映画東京) - 宗像右近
  • エノケンの森の石松(1939年、東宝映画東京) - 小松村の七五郎
  • エノケンの頑張り戦術 (1939年、東宝映画東京) - 会社の課長
  • エノケンの弥次喜多(1939年、東宝映画東京) - 医者道竹
  • エノケンのざんぎり金太(1940年、東宝映画東京)- 幸兵衛
  • エノケンの誉れの土俵入(1940年、東宝映画東京) - 宿の亭主
  • エノケンのワンワン大将(1940年、東宝映画東京) - 警部
  • エノケンの孫悟空(1940年、東宝映画東京) - 三蔵法師
  • エノケン・虎造の春風千里(1941年、東宝映画東京)- はし本茂助
  • エノケンの金太売り出す(1941年、東宝映画東京)- 家主
  • 巷に雨の降る如く(1941年、東宝映画東京)- 葉山さん
  • エノケンの爆弾児(1941年、東宝映画東京)- 番頭・桑原
  • 水滸伝(1942年、東宝映画) - 床仁
  • 磯川兵助功名噺(1942年、東宝映画)- 泉修理之進
  • 兵六夢物語(1943年、東宝映画) - 吉野市太郎
  • 天晴れ一心太助(1945年、東宝)- 家主・五兵衛
  • 幸運の仲間(1946年、東宝) - ポンポン汽船の船長
  • 人生とんぼ返り(1946年、東宝) - 欣太郎
  • 聟入り豪華船(1947年、東宝) - 倉橋寛蔵
  • 九十九人目の花嫁(1947年、新東宝)- 博士
  • 四つの恋の物語 第3話「恋はやさし」(1947年、東宝)- ロッテルリンギ
  • 恋の風雲児(1953年[2]、東宝) - 上州屋

脚注

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  1. ^ 『日本歌劇俳優写真名鑑』(1920年刊、歌舞雑誌社)p72
  2. ^ 1945年に製作されたが、封切直前に終戦となり追放映画に指定されていた。