柳田伸明
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名前 | ||||||
カタカナ | ヤナギダ ノブアキ | |||||
ラテン文字 | YANAGIDA Nobuaki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1970年12月9日(53歳) | |||||
出身地 | 東京都 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1986-1988 | 創価高校 | |||||
1989-1992 | 創価大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1995 | 富士通 | |||||
1997-1998 | 水戸ホーリーホック | |||||
監督歴 | ||||||
2015 | 大分トリニータ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
柳田 伸明(やなぎだ のぶあき、1970年12月9日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
来歴
[編集]1998年に現役を引退後、水戸ホーリーホックコーチを経て、2000年より当時J2の大分トリニータにU-18コーチとして加入した。以降16年間に渡り、トップチーム、下部組織、強化部など様々なカテゴリで大分のスタッフを務めた。2011年からは強化部、育成部の一本化にともない設立された強化・育成部の部長に就任した。チームの強化、下部組織を同時に任される事となった。 2015年、開幕から大分が低迷しJ3リーグ降格の危機を迎えた事から、5月20日にトップチームコーチに強化育成部長を兼任する形で就任した。2010年以来5年ぶりの現場復帰となった。その後もチーム状況は好転しなかったことで、6月1日に監督の田坂和昭を解任し、監督代行を経て7月2日に監督に就任した。前監督とは打って変わってスターティングメンバーを殆ど固定し、選手の自主性を重視する戦術を採った[1]。7月には3勝を挙げるなど一時的に復調は果たすが、その後4連敗を喫するなど完全に復調するまでには至らず、降格圏内から抜け出せない状況が続いた。結局、最後は4連敗でリーグ戦を終え最終成績は21位に終わった。J2・J3入れ替え戦でFC町田ゼルビアに2戦2敗に終わり、J3リーグ降格が決定した。この責任を取る形で翌12月7日、大分の監督を退任することを発表した。その後、中国リーグ甲級・河北華夏幸福のアシスタントコーチに就任した。
2019年11月25日、アビスパ福岡の強化部長に就任すると発表された[2]。
選手歴
[編集]指導歴
[編集]※強化育成部・部長との兼任
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2015 | 大分 | J2 | 21位 | 27 | 26 | 6 | 9 | 11 | - | 3回戦 |
総通算 | - | - | 26 | 6 | 9 | 11 | - | - |
※柳田の在任期間での成績(代行時代も含む)。順位は最終順位。
- その他公式戦
- 2015年 J2・J3入れ替え戦 - 2試合2敗
脚注
[編集]- ^ 柚野, 真也 (2015年12月7日). “大分トリニータ、J3降格の背景…歯車の狂いがもたらした悲劇”. サッカーキング 2021年7月14日閲覧。
- ^ 『柳田 伸明氏 強化部長 就任のお知らせ』(プレスリリース)アビスパ福岡、2019年11月26日 。2019年11月26日閲覧。
- ^ a b 創価高校サッカー部について 創価高校サッカー部
- ^ a b c d e f g h 『田坂和昭監督 解任のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2015年6月1日 。2015年6月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 柳田伸明 - Soccerway.com
- 柳田伸明 - FootballDatabase.eu
- 柳田伸明 - WorldFootball.net
- 柳田伸明 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 柳田伸明 - J.League Data Siteによる監督データ
- 柳田伸明の監督成績 - thefinalball.com