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松平親信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平親信
まつだいら ちかのぶ
華族画報社『華族画報』より
生年月日 1875年12月21日
没年月日 (1914-12-18) 1914年12月18日(38歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京府東京市浅草区
(現・東京都台東区
出身校 東京帝国大学大学院修了
東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業
所属政党 研究会
配偶者 松平岳子
子女 長男・松平親義
三男・松平精
親族 義兄・徳川義礼(貴族院議員)
義兄・徳川篤敬(貴族院議員)
義兄・松平頼寿(貴族院議員)

在任期間 1906年2月9日 - 1914年12月18日
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松平 親信(まつだいら ちかのぶ、1875年明治8年〉12月21日[1] - 1914年大正3年〉12月18日[1][2][3])は、明治・大正期の政治家華族貴族院子爵議員。幼名・龍若[1][4][5]

経歴

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杵築藩松平親貴の長男として生まれる[1][4][3]。父の死去に伴い1882年(明治15年)10月12日に家督を継承し親信と改名[1][4][5]1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵した[6]

学習院高等科を経て、1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、さらに同大学院を修了した[1][5]浅草区教育会長を務めた[5]

1906年(明治39年)2月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、死去するまで在任した[2][9]。会派は研究会に所属した[10]

1914年12月18日、東京市浅草区(現・台東区)浅草北三筋町の自宅で病のため死去した[3][11]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『平成新修旧華族家系大成 下巻』635-636頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』56頁。
  3. ^ a b c 『大正過去帳』54頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第3版』ま73頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j 『華族畫報 上』324頁。
  6. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、16頁。
  8. ^ 『官報』第6782号、明治39年2月10日。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、22頁。
  10. ^ 研究会所属貴族院議員録 : 創立より解散まで 129コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 日本歴史地名大系. “浅草北三筋町(あさくさきたみすじまち)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年11月2日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
杵築能見松平家初代
1884年 - 1914年
次代
松平親義