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松平康民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 康民
子爵

出生 1861年9月30日
死去 (1921-03-03) 1921年3月3日(59歳没)
埋葬 谷中墓地
配偶者 八百子(松平定安四女)
  澤子(森川文平娘)
子女 康良、康春、淑子(森清夫人)、喜美、経子(伊東祐弘夫人)、隆子(市島徳厚夫人)、照子(首藤安人夫人)、渡邊明[注 1]、鶴子(松平頼庸夫人)、三四子(諫早不二雄夫人)、四郎、文友
家名 津山松平家
父親 松平斉民
母親 家女
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松平 康民(まつだいら やすたみ)は、明治時代から大正時代の華族子爵)。字、子恵。号、蘭渓。妻は八百子(松平定安の四女)[1]継室は澤子(森川文平の娘)。

経歴

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文久元年(1861年8月26日津山藩藩主松平斉民の五男として生まれる[2]。母は家女[2]幼名は明丸[2]

明治3年(1870年1月26日、実父・斉民とともに清水徳川家の相続候補者として名が挙がっていたものの、辞退する。

明治11年(1878年)1月21日、兄・松平康倫が没したのちに家督を相続した[2]。同年2月15日、従五位に叙される[2]

明治13年(1880年)9月15日、康民と改名する[2]

明治17年(1884年)7月8日、子爵に叙爵される[3][2]

明治22年(1889年)から明治27年(1894年)にかけて、勝海舟などを通じ、政府に対し伯爵となることを働きかけるものの、失敗に終わった(越前松平家#宗家論争)。

明治23年(1890年)7月から亡くなるまで貴族院議員を務める[4]研究会に属した[4]

勲三等瑞宝章旭日中綬章を受ける。日清日露両戦争での功績により正三位勲三等・従二位に叙された。

大正10年(1921年)3月3日、死去[4]。墓所は谷中墓地

長男・康良に先立たれていたため、次男・康春が家督を継いだ。

栄典

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位階
勲章

脚注

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注釈

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  1. ^ 谷崎潤一郎の小説『細雪』に出てくる子爵の息子・御牧実のモデル

出典

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  1. ^ 維新史料編纂会 1929, p. 609.
  2. ^ a b c d e f g 続群書類従完成会 1984, p. 126.
  3. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  4. ^ a b c 衆議院 & 参議院 1990, p. 57.
  5. ^ 『官報』第2575号「叙任及辞令」1921年3月5日。
  6. ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。

参考文献

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関連項目

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日本の爵位
先代
叙爵
子爵
津山松平家初代
1884年 - 1921年
次代
松平康春