東乙彦
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東 乙彦(ひがし おとひこ、1870年8月5日(明治3年7月9日) - 1936年(昭和11年)10月13日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
生涯
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- 1870年(明治3年)山口県の東文吾の次男として生まれる[2]
- 1893年(明治26年)陸軍士官学校卒業
- 1894年(明治27年)陸軍砲兵少尉に任命される
- 1897年(明治30年)陸軍大学校へ入学する
- 1900年(明治33年)陸軍大学校を第14期生として卒業する
- 1907年(明治40年)陸軍砲兵中佐に任命される
- 1908年(明治41年)英国大使館附武官となる
- 1910年(明治43年)参謀本部附となる
- 1911年(明治44年)野砲兵第8聯隊隊長となる
- 1913年(大正2年)陸軍砲兵大佐に任命される
- 1915年(大正4年)第4師団参謀長の補佐となる
- 1917年(大正6年)陸軍少将・基隆要塞司令官となる
- 1918年(大正7年)台湾総督府陸軍参謀長、支那公使館附武官となる
- 1922年(大正11年)陸軍中将・下関要塞司令官となる
- 1923年(大正12年)待命・予備役
- 1933年(昭和8年)後備役
- 1936年(昭和11年)死去、享年66歳