村山新治
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むらやま しんじ 村山新治 | |
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生年月日 | 1922年7月10日 |
没年月日 | 2021年2月14日(98歳没) |
出生地 | 長野県埴科郡屋代町(現・千曲市) |
死没地 | 東京都三鷹市 |
職業 | 映画監督 |
著名な家族 | 村山英治(兄) |
村山 新治(むらやま しんじ、1922年7月10日 - 2021年2月14日)は、日本の映画監督。兄はドキュメンタリー監督の村山英治。
来歴・人物
[編集]長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。1941年に長野工業学校卒業後、記録映画の助監督を経て、1949年に東映の前身である太泉映画入社。今井正らの助監督を務めた後、1956年に東映教育映画部の『わんぱく時代』で監督デビュー[1]。1957年の『警視庁物語 上野発五時三十五分』で一般映画も監督するようになる [1]。その後も『警視庁物語』シリーズをはじめとしたセミ・ドキュメンタリー的な作品を多く手がけた。
1970年代以降は主にテレビドラマ演出に活躍の場を移し、『特捜最前線』や一連の東映不思議コメディーシリーズなどの監督を長年にわたって務めた。
2021年2月14日午後8時22分、老衰のため、東京都三鷹市の自宅で死去[2]。98歳没。
主な監督作品
[編集]映画
[編集]- 『わんぱく時代』(1956年)
- 『警視庁物語 上野発五時三十五分』(1957年)
- 『風の又三郎』(1957年)
- 『二宮尊徳の少年時代』(1957年)
- 『ふるさとの唄 哀愁のりんご園』(1957年)
- 『ふるさとの唄 お母さんの東京見物』(1957年)
- 『警視庁物語 七人の追跡者』(1958年)
- 『警視庁物語 魔の伝言板』(1958年)
- 『今は名もない男だが』(1958年)
- 『警視庁物語 顔のない女』(1959年)
- 『特ダネ三十時間 第三の女』(1959年)
- 『特ダネ三十時間 深夜の挑戦』(1959年)
- 『警視庁物語 一〇八号車』(1959年)
- 『警視庁物語 遺留品なし』(1959年)
- 『七つの弾丸』(1959年)
- 『消えた密航船』(1960年)
- 『白い粉の恐怖』(1960年)
- 『二人だけの太陽』(1961年)
- 『故郷は緑なりき』(1961年)
- 『警視庁物語 12人の刑事』(1961年)
- 『霧の港の赤い花』(1962年)
- 『純愛物語 草の実』(1962年)
- 『東京アンタッチャブル』(1962年)
- 『無法松の一生』(1963年)
- 『海軍』(1963年)
- 『肉体の盛装』(1964年)
- 『孤独の賭け』(1965年)
- 『いろ』(1965年)
- 『おんな番外地 鎖の牝犬』(1965年)
- 『夜の悪女』(1965年)
- 『夜の牝犬』(1966年)
- 『遊侠三代』(1966年)
- 『夜の青春シリーズ 赤い夜光虫』(1966年)
- 『男度胸で勝負する』(1966年)
- 『ボスは俺の拳銃で』(1966年)
- 『柳ヶ瀬ブルース』(1967年)
- 『旅路』(1967年)
- 『夜の手配師』(1968年)
- 『あゝ予科練』(1968年)
- 『㊙トルコ風呂』(1968年)
- 『夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース』(1968年)
- 『現代任侠道 兄弟分』(1970年)
- 『日本悪人伝』(1971年)
- 『尼寺博徒』(1971年)
- 『日本悪人伝 地獄の道づれ』(1972年)
- 『実録飛車角 狼どもの仁義』(1974年)
- 『きみは風のように』(1984年)
テレビ
[編集]- 『刑事さん』 第1・第2シリーズ(1967年〜1968年、NET)
- 『キイハンター』(1968〜1973年、TBS)
- 『ブラックチェンバー』(1969年、フジテレビ)
- 『特命捜査室』(1969年、フジテレビ)
- 『ゴールドアイ』(1970年、日本テレビ)
- 『シークレット部隊』(1972年、TBS)
- 『刑事くん(第3部)』(1973年、TBS)
- 『アイフル大作戦』(1973〜1974年、TBS)
- 『事件狩り』(1974年、TBS)
- 『バーディー大作戦』(1974〜1975年、TBS)
- 『Gメン'75』(1975〜1977年、TBS)
- 『刑事くん(第4部)』(1975年、TBS)
- 『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』(1975年、ABC)
- 『新宿警察』(1975〜1976年、フジテレビ)
- 『ベルサイユのトラック姐ちゃん』(1976年、NET)
- 『宇宙鉄人キョーダイン』(1976年、毎日放送)
- 『夜明けの刑事』(1976年、TBS)
- 『影同心II』(1976年、毎日放送)
- 『大非常線』(1976年、NET)
- 『特捜最前線』(1977〜1987年、テレビ朝日)
- 土曜ワイド劇場『さそり座の女』(1978年、テレビ朝日)
- 『野性の証明』(1979年、毎日放送)
- 『騎馬奉行』(1979〜1980年、関西テレビ)
- 『非情のライセンス』第3シリーズ(1980年、テレビ朝日)
- 土曜ワイド劇場『女教師 コンクリート殺人事件』(1980年、テレビ朝日)
- 『'81年型説教強盗』(1981年、テレビ朝日)
- 『女捜査官』(1982年、ABC)
- 『海にかける虹〜山本五十六と日本海軍』(1983年、テレビ東京)
- 土曜ワイド劇場『女49歳の決算』(1983年、テレビ朝日)
- 土曜ワイド劇場『女子医大生 父娘心中』(1983年、テレビ朝日)
- 土曜ワイド劇場『女たちの森』(1984年、テレビ朝日)
- 『ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる』 第13・14・15回(1984年、テレビ朝日)
- 『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』(1987年、フジテレビ)
- 『じゃあまん探偵団 魔隣組』(1988年、フジテレビ)
- 『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』(1989年、フジテレビ)
- 『魔法少女ちゅうかないぱねま!』(1989年、フジテレビ)
- 『美少女仮面ポワトリン』(1990年、フジテレビ)
- 『不思議少女ナイルなトトメス』(1991年、フジテレビ)
- 『うたう!大龍宮城』(1992年、フジテレビ)
- 『有言実行三姉妹シュシュトリアン』(1993年、フジテレビ)
脚注
[編集]- ^ a b 『日本映画人名事典 監督編』「村山新治」の項目、キネマ旬報社、1997年
- ^ “映画監督の村山新治氏が死去 「顔のない女」など”. サンケイスポーツ. (2021年2月24日) 2023年8月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- 村山新治 - allcinema
- 村山新治 - KINENOTE
- 村山新治 - 日本映画データベース
- Shinji Murayama - IMDb