末吉利雄
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末吉利雄 すえよし としお | |
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生年月日 | 1909年3月23日 |
没年月日 | 1995年12月31日(86歳没) |
出身校 | 旧制鹿児島県立工業学校卒業 |
前職 |
日本専売公社職員 (現・日本たばこ産業) |
所属政党 |
(日本社会党→) 無所属 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1967年5月21日 - 1975年5月20日 |
当選回数 | 4回 |
末吉 利雄(すえよし としお、1909年(明治42年)3月23日[1] - 1995年(平成7年)12月31日[1])は、日本の政治家。第17代鹿児島市長。
経歴
[編集]鹿児島市出身[2]。鹿児島県立鹿児島工業学校(現:鹿児島県立鹿児島工業高等学校)を卒業し、日本専売公社に勤務する[2]。1951年から鹿児島県議を連続4期務める[3]。また、1960年には日本社会党鹿児島県本部委員長となり[3]、7期務める[2]。
1967年鹿児島市は谷山市を合併し、新鹿児島市が発足した。合併直後の市長選に革新系から立候補し、保守系の現職の三ッ井卯三男と一騎討ちとなった。末吉は「市民との対話」 を訴え[4]、選挙戦を進め、現職を破って当選、平瀬實武以来の革新市長の誕生となった。市長就任後は福祉政策に重点を置き、「鹿児島市総合計画」を策定[5]、市民との対話集会を開いた[5]。1971年の市長選でも再選、2期目に第27回国民体育大会の開催[3]、平川動物公園の開園[3]、オーストラリアパース市との姉妹都市の締結[3]などの出来事があった。
1975年の市長選で3期目を目指したが、保守系で元県出納長の山之口安秀に敗れ[5]、4年後の1979年の市長選挙に再び立候補したが落選した[5]。1995年12月31日死去。86歳没[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 鹿児島市『鹿児島市史第4巻』鹿児島市、1990年 。
- 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ株式会社、1997年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
公職 | ||
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先代 三ッ井卯三男 |
鹿児島市長 17代:1967 - 1975 |
次代 山之口安秀 |