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景廉(けいれん、gingliyan、1823年 - 1885年)は、清の官僚。字は季泉、号は秋坪。
満州正黄旗人。ヤンジャ氏(yanja hala、顔札氏)。1852年に進士となり、侍講学士となった。後に鑲紅旗満州副都統となり、刑部右侍郎、吏部左侍郎を歴任した。1858年、イリ参賛大臣となった。在任中は綱紀を粛正し、官吏のゆすりたかりを禁止した。1862年、ヤルカンド参賛大臣に転任。1865年には甘粛省の回民蜂起の鎮圧に参加した。1866年、ハミ幇弁大臣に任命された。1871年にロシア帝国がイリ地方を占領すると、奪回に動いたが失敗した。1874年、欽差大臣に任命され、ヤクブ・ベクの乱の対処にあたった。1875年、正白旗漢軍都統となり、北京に戻った。1876年、軍機大臣・総理各国事務衙門大臣に昇進した。その後、工部尚書、戸部尚書、兵部尚書を歴任した。
- 先代
- (空席)
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- ウルムチ都統
- 1871-1875
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- 次代
- 金順(ギンシュウェン)
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- 先代
- 魁齢(クイリン)
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- 都察院満左都御史
- 1875-1877
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- 次代
- 全慶(チュワンキン)
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- 先代
- 魁齢(クイリン)
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- 工部満尚書
- 1877-1878
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- 次代
- 栄禄(ルンル)
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