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旭堂左南陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう)は、上方講談。幕末からある名前。当代は特に代数は振っていない。


旭堂きょくどう 左南陵さなんりょう
旭堂(きょくどう) 左南陵(さなんりょう)
「覗き梅鉢」は旭堂一門の定紋である。
本名 久保 康利
生年月日 (1949-06-29) 1949年6月29日(75歳)
出身地 日本の旗 日本大分県佐伯市
師匠 岡本梅寿軒
三代目旭堂南陵
六代目一龍斎貞水
弟子 旭堂左燕
名跡 1.旭堂南京(1972年 - ?)
2.旭堂南鏡(? - 1980年)
3.旭堂きょくどう左南陵ひだりなんりょう(1980年 - 2007年)
4.旭堂きょくどう左南陵さなんりょう(2007年 - )
活動期間 1972年 -
所属 なみはや講談協会
備考
なみはや講談協会会友

旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう 1949年6月29日[1] - )は、大分県南海部郡(現:佐伯市)出身の講談師。本名:久保 康利。なみはや講談協会会友。

経歴

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大分県立佐伯鶴城高等学校卒業後、東京でサラリーマンを1年間勤める(西濃運輸に勤務)。その後、大阪で浪曲岡本梅寿軒の門下になる。後に音楽ショウあひる艦隊」に岡本浩の名で参加し1969年に初舞台。1972年三代目旭堂南陵の門下で「南京」から「南鏡」と改名。一時東京の六代目一龍斎貞水の預かり弟子で講談組合に所属。1980年夏に真打に昇進し「左南陵ひだりなんりょう」を襲名。1996年名古屋に移住した後、大須演芸場を拠点として活動を開始。2007年に読みを「さなんりょう」と改名。現在は名古屋中心に大阪でも口演している。2023年より名古屋市のカルチャースクールで講談講座を開講。

弟子

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  • 旭堂左燕(2023年5月入門、三重県出身)[2]

持ちネタ

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  • 赤穂義士伝
    • 「南部坂、雪の別れ」「安兵衛婿入り」「高田馬場駆け付け」「俵星玄蕃」「梶川与惣兵衛、屏風回し」
  • 太閤記
    • 「本能寺の夜討ち」「高松陣払い(姫路の出陣)」「電撃桶狭間(信長の出陣)」
  • 難波戦記
    • 「真田幸村、大阪入城」「二条城の対面」
  • 源平盛衰記
    • 「宇治川の先陣争い」「那須与一、扇の的」
  • 四谷怪談
    • 「お岩様誕生」
  • 寛政力士伝
    • 「雷電の初土俵」

ほかに「酒井の太鼓(三方ヶ原軍記)」「勧進帳」「安倍の水馬(隅田川、誉の乗切り)」「伊達政宗、堪忍袋」「八丈島物語」「清正毒饅頭」など

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 東京かわら版『東西寄席演芸家名鑑2』P340より。
  2. ^ 登龍亭獅鉃 (2023年5月28日). “郡上ミニ落語会 ご来場ありがとうございます”. twitter. 2023年6月12日閲覧。

参考文献

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  • 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)

外部リンク

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