早通 (新潟市北区)
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早通 | |
---|---|
北緯37度55分11.69秒 東経139度10分33.23秒 / 北緯37.9199139度 東経139.1758972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 新潟県 |
市町村 | 新潟市 |
区 | ■ 北区 |
人口 | |
• 合計 | 619人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
950-3372[2] |
市外局番 | 025 (新潟MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
早通(はやどおり)は、新潟県新潟市北区の町字。郵便番号は950-3372[2]。
概要
[編集]1889年(明治22年)から現在までの大字で、新井郷川上流右岸に位置する[4]。もとは1876年(明治9年)から1889年(明治22年)まであった早通村の区域の一部。
地名の由来は、葛塚から新潟への最短距離にあったため、江戸時代から早通と呼ばれたという説と亀田在の早通(現江南区早通)から移入されたという説がある。
隣接する町字
[編集]北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
- 東部(早通中学校側)
- 西部(早通寺・早通みずほ幼稚園・早通踏切側)
歴史
[編集]分立した町字
[編集]1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
- 彩野(あやの)
- 早通から分立した町字。
年表
[編集]- 1730年(享保15年) : 松ヶ崎分水の決壊による阿賀野川本流の変化に伴い、「内島見西興屋(うちしまみにしごうや)」として開発[7]。
- 1876年(明治9年) : 内島見西興屋が早通村に改称[7]。
- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により鳥屋村の大字となる。
- 1906年(明治39年)4月1日 : 合併により木崎村の大字となる。
- 1955年(昭和30年)3月31日 : 合併により豊栄町の大字となる。
- 1957年(昭和32年)2月11日 : 国鉄(現JR東日本)白新線早通駅が開設される。[注 1]
- 1970年(昭和45年)
- 1973年(昭和48年)3月1日 : 早通南が分立。
- 1975年(昭和50年)11月1日 : 早通北が分立[注 2]。
- 2005年(平成17年)3月21日 : 合併により新潟市の大字になるとともに、「豊栄早通」に名称を変更[8]。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により北区の大字になるとともに、「早通」に名称を戻した[8]。
世帯数と人口
[編集]2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
早通 | 246世帯 | 619人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
537番地2 1470番地 1472番地 |
新潟市立木崎小学校 | 新潟市立木崎中学校 |
2番地1~200番地 961番地~984番地 |
新潟市立早通南小学校 | 新潟市立早通中学校 |
主な企業・施設
[編集]- 新潟市立早通中学校
交通
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ a b “住民基本台帳人口 (全市・区役所・町名別) - 町名別住民基本台帳人口”. 新潟市 (2018年2月13日). 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月5日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b 角川地名15、p.1095
- ^ 豊栄広報 第174号 p.5
- ^ 豊栄広報 第131号 p.5
- ^ a b 角川地名15、p.207
- ^ a b 町名一覧、p.63
- ^ “通学区域一覧(町名別五十音索引)”. 新潟市 (2017年4月1日). 2018年3月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- “豊栄広報 第174号 P.5”. 豊栄市 (1975年10月20日). 2014年8月3日閲覧。
- “豊栄広報 第131号 P.5”. 豊栄市 (1973年1月20日). 2014年7月13日閲覧。
- “新潟市50音別町名一覧表”. 新潟市. 2014年11月17日閲覧。