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押野村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おしのむら
押野村
押野村役場跡地(写真左側:現金沢市八日市2丁目464番地)に建つ押野市民センターと旧押野村公民館と保育所跡地(写真右側:現金沢市八日市2丁目465番地)に建つ金沢市立八日市保育所、2021年3月19日撮影
押野村役場跡地(写真左側:現金沢市八日市2丁目464番地)に建つ押野市民センターと旧押野村公民館と保育所跡地(写真右側:現金沢市八日市2丁目465番地)に建つ金沢市立八日市保育所、2021年3月19日撮影
廃止日 1956年昭和31年)1月1日
廃止理由 編入合併
押野村 → 金沢市
現在の自治体 金沢市野々市市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
石川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 6.03[1] km2.
総人口 3,021
1953年昭和28年))
隣接自治体 石川県:金沢市、石川郡野々市町郷村安原村
押野村役場
所在地 石川県石川郡押野村字押野[2]
石川郡押野村字八日市新保[3][4]
石川郡押野村字八日市[5][6]
座標 北緯36度32分46秒 東経136度36分31秒 / 北緯36.54608度 東経136.60858度 / 36.54608; 136.60858座標: 北緯36度32分46秒 東経136度36分31秒 / 北緯36.54608度 東経136.60858度 / 36.54608; 136.60858
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押野村(おしのむら)は、石川県石川郡に存在した

地理

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現在の金沢市の西部及び野々市市の北部。当時は田んぼが広がっていた、全体的に平坦な村であった。2011年現在では、金沢市においては西南部地区ともいわれる。金沢市近郊の地として昭和初期より西金沢駅周辺から都市化が進み、多くの工場も立地していった。2011年現在、チカモリ遺跡御経塚遺跡が所在している。

  • 川:高橋川、木呂川(富樫用水)

歴史

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分割編入問題

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押野村全域が金沢市に編入された後も御経塚、野代、押越、押野の4地区が野々市町(現・野々市市)への再編入を強く希望し、当該4地区に住む小学生中学生を野々市町内の小学校中学校へ集団転校(越境通学)させる事態が起こるなど、金沢市への編入を良しとした地区および金沢市自体との対立が深まった。これについて1956年昭和31年)中に金沢市議会において、まず御経塚、野代、押越3地区の分割が決まり、押野地区については翌1957年昭和32年)3月31日[8]住民投票において賛成多数で本村(押野地区の中心)を含む南側3分の2ほどの分割が決定。1957年昭和32年)4月10日に御経塚、野代、押越各町と押野町の一部が野々市町へ編入[9]され、2017年現在の市界がほぼ確定した。

行政

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庁舎

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押野村役場の所在地は、当初の字押野から字八日市新保、字八日市、字八日市新保へと変わり、閉村時には字八日市ヘ10[10]にあった。

村長

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歴代村長[10]
氏名 就任 退任 出身字名 備考
1 後藤於菟吉 1889年(明治22年)5月1日 1892年(明治25年)5月27日 押野
2 西田又右衛門 1892年(明治25年)6月1日 1893年(明治26年)6月3日 矢木荒屋
3 後藤於菟吉 1893年(明治26年)6月12日 1893年(明治27年)6月25日 押野 再任
4 北川与平衛 1896年(明治29年)10月10日 1905年(明治38年)7月18日 御経塚 在任中に死去
5 松田長吉 1905年(明治38年)8月28日 1925年(大正14年)9月20日 押野
6 西尾勇吉 1925年(大正14年)11月10日 1927年(昭和2年)9月30日 八日市新保 在任中に死去
7 押村市太郎 1927年(昭和2年)10月18日 1933年(昭和8年)3月28日 押野 在任中に死去
8 北川 潔 1933年(昭和8年)月日不明 1937年(昭和12年)月日不明 御経塚
9 西村伸一郎 1937年(昭和12年)2月27日 1942年(昭和17年)8月2日 押野
10 後藤義賢 1942年(昭和17年)8月23日 1945年(昭和20年)6月23日 押野
11 西村伸一郎 1945年(昭和20年)7月20日 1946年(昭和21年)11月25日 押野 再任
12 南 市太郎 1946年(昭和21年)12月12日 1955年(昭和30年)4月17日 押野
13 前田祖治 1955年(昭和30年)5月1日 1955年(昭和30年)12月31日 太郎田 当村廃止に伴い自動退任

地域

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教育

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交通

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鉄道路線

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(当村廃止時点までのもの)

出身人物

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脚注

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  1. ^ a b 市域の変遷”. 金沢市公式ホームページ. 2013年3月11日閲覧。
  2. ^ 全国市町村便覧 明治32年(1899年)3月”. 国立国会図書館 デジタルコレクション. 2021年3月17日閲覧。
  3. ^ 帝国市町村便覧大正4年(1915年)”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年12月4日閲覧。
  4. ^ 改定市町村便覧 昭和6年(1931年)”. 国立国会図書館 デジタルコレクション. 2021年3月17日閲覧。
  5. ^ 市町村便覧 大正14年(1925)度版”. 国立国会図書館 デジタルコレクション. 2021年3月17日閲覧。
  6. ^ 全国市町村便覧 昭和23年度版P.188”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2021年3月17日閲覧。
  7. ^ 『町の区域設定の届け出(昭和31年石川県告示第23号)』石川県、昭和31年(1956)1月1日。 
  8. ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、362頁。NDLJP:2994372/186 
  9. ^ 新しい野々市町の誕生”. 野々市市. 2013年3月12日閲覧。
  10. ^ a b 石川県押野村史 高堀勝喜編集 昭和39年発行 p117
  11. ^ a b 石川県石川郡誌(1927年)P.1009”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年12月3日閲覧。
  12. ^ 関脇響升顕彰碑”. ののいち歴史探訪. 2013年3月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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