志和町内
表示
志和町内 | |
---|---|
大字 | |
棚田が広がる町内の風景 | |
北緯34度29分56秒 東経132度42分04秒 / 北緯34.49889度 東経132.70111度座標: 北緯34度29分56秒 東経132度42分04秒 / 北緯34.49889度 東経132.70111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 東広島市 |
人口情報(2024) | |
人口 | 265 人 |
世帯数 | 135 世帯 |
面積(2020) | |
9.199121732 km² | |
人口密度 | 28.81 人/km² |
郵便番号 | 739-0261 |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 広島県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
志和町内(しわちょううち)とは、広島県東広島市の大字。全域で住居表示未実施である[1]。
概要
[編集]「山間の内ところ」という地名の由来[2]通り、山間部に志和地区市街地から独立した集落を形成している。
町内全体を通して標高差が大きく、これを利用して棚田が形成されている。かつては石垣積みの小規模な田であったが、1990年代に圃場整備が実施され、土坡の棚田となり生産効率が向上した[3]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。賀茂郡内村と志和東村が合併し、東志和村が発足する。内村は「内」として東志和村の大字となる[2][4]。
- 1955年(昭和30年)8月1日 - 西志和村、志和堀村、東志和村が合併し、志和町が発足。内は志和町の大字となる[2][4]。
- 1974年(昭和49年)4月20日 - 志和町が周辺3町と合併し、東広島市が発足。内は「志和町内」として東広島市の大字となる[2][5]。
交通
[編集]鉄道
[編集]町内に鉄道は通っていない。最寄り駅はJR山陽本線の八本松駅である。
バス
[編集]町内にバス路線は通っていない。志和町志和東もしくは八本松町篠のバス停が最寄りとなる[6]。
道路
[編集]主要地方道
[編集]上記2路線は町内から重複区間に入る。
施設・名所など
[編集]- 西方寺
- 寺山城跡
- どんど公園
- 中国電力ネットワーク新広島変電所
学区
[編集]公立小・中学校に通学する場合、志和小学校および志和中学校に通学することになる[7]。
世帯数・人口
[編集]2024年(令和6年)10月末時点での世帯数は135世帯、人口は265人である[8]。
面積
[編集]2020年時点での面積は9.199121732km2である[9]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “住居表示未実施区域一覧(地区別)” (PDF). 東広島市. 2024年12月8日閲覧。
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1987, p. 143.
- ^ “内(うち)| 広島県東広島市”. 認定NPO法人棚田ネットワーク. 2024年12月8日閲覧。
- ^ a b 地名情報資料室 1990, p. 649.
- ^ 地名情報資料室 1990, p. 654.
- ^ “路線のご案内”. 芸陽バス株式会社. 2024年12月8日閲覧。
- ^ “東広島市立小・中学校の通学区域/東広島市ホームページ”. 東広島市. 2024年12月8日閲覧。
- ^ “2024(令和6)年10月大字別人口” (Excel). 東広島市. 2024年12月8日閲覧。
- ^ “広島県東広島市志和町内 - 人口総数及び世帯総数”. 人口統計ラボ. 2024年12月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 34(広島県)、角川書店、1987年3月。ISBN 4-04-001340-9。
- 地名情報資料室 編『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年9月。ISBN 4-490-10280-1。