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広瀬川惣吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 - 1979年8月6日)は、宮城県柴田郡柴田町出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は及川 惣吉(おいかわ そうきち)→片岡 惣吉(かたおか -)。身長180cm、体重105kg。最高位は東前頭3枚目(1952年1月場所・1953年3月場所)。

なお、四股名の表記については、「広」の字が旧字体の「廣」となっている文献も見受けられる。

来歴・人物

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17歳の時上京して角界入りし、1937年1月、元関脇清瀬川率いる伊勢ヶ濱部屋より初土俵を踏んだ。

序二段に付いてから負け越しなしで1941年1月場所で新十両昇進、そして、1943年1月場所で入幕を果たした。

しかし同場所、4勝11敗と大きく負け越して十両に陥落すると、その後は幕内に返り咲いてもなかなか上位に進出できず、幕内中堅力士として終始した。それでも1944年5月場所、十両優勝して11月場所で幕内に復帰すると、それから10年余り、1955年5月場所まで31場所連続して幕内の地位を保った。

その間、1953年からは兄弟子の元横綱・照國荒磯親方が師匠(元:清瀬川)の後を継いで部屋経営に当たった事に伴い、所属部屋の名称も「荒磯部屋」に変わっている。

左四つからの吊りや投げを武器にした相撲ぶりで息長く活躍し、十両と幕内を往復しながら1959年5月場所、40歳まで現役に在った。現役晩年には、若秩父高明大鵬幸喜など、自分が初土俵を踏んだあとに生まれた若手力士達とも対戦している。

なお、満40歳で関取の地位に在ったという記録(1959年3月場所・同年5月場所)は、昭和戦後では名寄岩(1954年9月場所)以来の珍記録である。

これは、2014年9月場所での旭天鵬(最高位・関脇)まで、55年間も出なかった。

引退後は角界に残らず、千葉県にて養鶏業を営んだ。

主な戦績

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  • 通算成績:403勝447敗24休 勝率.474
  • 幕内成績:263勝324敗19休 勝率.448
  • 現役在位:66場所
  • 幕内在位:43場所
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1944年5月場所=9勝1敗)

場所別成績

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広瀬川 惣吉
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1937年
(昭和12年)
(前相撲) x 新序
3–0 
x x x
1938年
(昭和13年)
東序二段41枚目
5–2 
x 東三段目45枚目
4–3 
x x x
1939年
(昭和14年)
東三段目18枚目
5–2 
x 西幕下32枚目
6–2 
x x x
1940年
(昭和15年)
西幕下8枚目
4–4 
x 東幕下6枚目
6–2 
x x x
1941年
(昭和16年)
東十両10枚目
6–9 
x 西十両14枚目
8–7 
x x x
1942年
(昭和17年)
西十両10枚目
9–6 
x 東十両4枚目
10–5 
x x x
1943年
(昭和18年)
西前頭16枚目
4–11 
x 東十両2枚目
6–9 
x x x
1944年
(昭和19年)
西十両5枚目
9–6 
x 西十両筆頭
優勝
9–1
x x 西前頭16枚目
5–5 
1945年
(昭和20年)
x x 東前頭13枚目
5–2 
x x 東前頭6枚目
3–7 
1946年
(昭和21年)
x x x x x 東前頭13枚目
6–7 
1947年
(昭和22年)
x x 西前頭15枚目
6–4 
x x 西前頭4枚目
2–9 
1948年
(昭和23年)
x x 西前頭14枚目
6–5 
x x 西前頭13枚目
8–3 
1949年
(昭和24年)
西前頭4枚目
6–7 
x 東前頭7枚目
4–11 
x 西前頭12枚目
7–8 
x
1950年
(昭和25年)
東前頭13枚目
7–8 
x 西前頭13枚目
10–5 
x 西前頭7枚目
4–11 
x
1951年
(昭和26年)
西前頭12枚目
4–11 
x 西前頭17枚目
8–7 
x 東前頭12枚目
11–4 
x
1952年
(昭和27年)
東前頭3枚目
0–5–10[1] 
x 東前頭12枚目
5–10 
x 東前頭17枚目
9–6 
x
1953年
(昭和28年)
東前頭10枚目
9–6 
東前頭3枚目
6–9 
西前頭8枚目
6–9 
x 西前頭11枚目
6–9 
x
1954年
(昭和29年)
西前頭13枚目
8–7 
東前頭12枚目
6–9 
西前頭14枚目
8–7 
x 東前頭11枚目
9–6 
x
1955年
(昭和30年)
東前頭8枚目
4–11 
西前頭14枚目
5–10 
西前頭18枚目
5–10 
x 東十両筆頭
10–5 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭18枚目
8–7 
西前頭16枚目
8–7 
西前頭15枚目
6–9 
x 西前頭18枚目
3–12 
x
1957年
(昭和32年)
東十両2枚目
9–6 
西前頭22枚目
9–6 
西前頭14枚目
8–7 
x 東前頭14枚目
6–9 
西前頭16枚目
8–7 
1958年
(昭和33年)
東前頭15枚目
8–7 
西前頭14枚目
2–4–9[2] 
西前頭21枚目
5–10 
西十両2枚目
3–12 
東十両10枚目
6–9 
東十両16枚目
10–5 
1959年
(昭和34年)
東十両6枚目
4–11 
東十両14枚目
6–9 
西十両19枚目
引退
2–8–5
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 4 8 朝潮(米川) 1 3 葦葉山 1 0 愛宕山 0 1
天津灘 0 1 綾昇 0 1 安念山 1 1 泉洋 6 2
荒岩(若ノ海) 1(1) 1 一渡 1 0 五ツ海 1 1 五ッ洋 2 3
岩風 1 3 及川 1 1 大岩山 5 0 大内山 2 3
大江戸 1 0 大起 9 7 大田山 0 1 大ノ海 6 5
大ノ浦 2 2 大昇 4 4 大晃 4 7 小城ノ花 2 0
小野錦 1 1 大蛇潟 7 5 海山 3 3 甲斐錦 1 0
甲斐ノ山 1 4 鏡里 1 4 柏戸 0 2 神生山 1 0
神風 0 1 神錦 5 7 神若 1 1 起雲山 2 0
北ノ洋 5 4 清恵波 11 4 鬼竜川 2 1 九ヶ錦 1 0
九州錦 4 4 国登 5 6 高津山 1 1 小坂川 1 1
琴ヶ濱 1 1 琴錦 6 9 小松山 0 1 佐賀ノ花 0 1
相模川 2 0 潮錦 3 10 汐ノ海 1 0 信夫山 3 7
嶋錦 4 6 清水川 2 8 鯱ノ里 1 1 信州山 0 1
神東山 0 1 駿河海 0 1 大龍 1 0 高錦 2 2
武ノ里 0 1 立田野 2 0 楯甲 1 0 玉乃海 2 3
竹旺山 2 0 千代ノ山 0 2(1) 常錦 0 1 常ノ山 4 9
鶴ヶ嶺 1 4 鶴ヶ嶺 0 2 輝昇 3 6 出羽錦 2 3
出羽ノ花 4 1 出羽湊 2 6 十勝岩 4 3 時津山 1 3
時錦 3 3 栃錦 0 4 栃光 0 2 豊登 0 1
七ッ海 0 2 名寄岩 3 0 鳴門海 7 7 成山 1 1
羽黒山 0 1 羽嶋山 2 6 羽子錦 0 1 緋縅 6 7
肥州山 0 1 常陸海 2 0 秀湊 2 1 平鹿川 2 1
平ノ戸 0 2 福ノ海 0 1 福乃里 3 1 房錦 1 1
藤田山 3 2 双子岩 0 1 二瀬川 1 0 二瀬山 3 4
双ツ龍 3 4 双見山 0 1 不動岩 2 5 星甲 2 5
前ノ山(佐田岬) 2 0 増位山 1 0 増巳山 3 2 松ノ里 0 1
松登 1 1 三根山 0 3 緑國 1 1 緑島 2 4
宮城海 3 2 宮錦 4 2 八方山 3 1 八染 2 4
大和錦 0 1 吉井山 7 4 吉田川 1 1 芳野嶺 1 3
吉葉山 0 3(1) 力道山 0 4 若潮 5 1 若ノ花 1 5
若羽黒 2 2 若葉山 10(1) 6(1) 若前田 1 1
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

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  • 広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち)1937年1月場所 - 1950年9月場所
  • 広瀬川 宗之助(ひろせがわ そうのすけ)1951年1月場所 - 1953年5月場所
  • 広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち)1953年9月場所 - 1959年5月場所

脚注

[編集]
  1. ^ 顔面部腫物により初日不戦敗、7日目から再出場、10日目から再度途中休場
  2. ^ 右膝関節脱臼により6日目から途中休場

関連項目

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