コンテンツにスキップ

平山慎英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平山 慎英(ひらやま のりひで[1]1881年1月20日[2][注釈 1] - 1950年12月10日[3])は、日本の裁判官

来歴

[編集]

広渡寺住職、飯能学校教員を務めた平山鳳琳の長男。母は飯能焼の絵付師腰塚小四郎の娘[4]埼玉県入間郡飯能町(現・飯能市)出身[2]。飯能小学校高等科、麻布中学校第一高等学校東京帝国大学法科を経て、裁判官になった[4]

浦和地方裁判所判事、那覇地方裁判所長、横浜地方裁判所長、鳥取地方裁判所長、松江地方裁判所長などを勤めた。高等官一等正四位勲三等。69歳で死去した。

職歴

[編集]

栄典

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『飯能人物誌』では1883年(明治16年)生まれとする。

出典

[編集]
  1. ^ 『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年、ヒ56頁。
  2. ^ a b 『大日本司法大観 昭和15年版』大日本司法大観編纂所、1940年、p.490。
  3. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.417。
  4. ^ a b 『飯能人物誌』p.40。
  5. ^ 『官報』第8001号、1910年2月26日。
  6. ^ 『官報』第8279号、1911年1月28日。
  7. ^ 『官報』第8648号、1912年4月20日。
  8. ^ 『官報』第277号、1913年7月2日。
  9. ^ 『官報』第2036号、1919年5月20日。
  10. ^ 『官報』第2741号、1921年9月19日。
  11. ^ 『官報』第3220号、1923年4月27日。
  12. ^ 『官報』第3713号、1925年1月10日。
  13. ^ 『官報』第4182号、1926年8月2日。
  14. ^ 『官報』第476号、1928年7月28日。
  15. ^ 『官報』第1081号、1930年8月6日。
  16. ^ 『官報』第1498号、1931年12月26日。
  17. ^ 『官報』第2202号、1934年5月8日。
  18. ^ 『官報』第2726号、1936年2月5日。
  19. ^ 『官報』第3269号、1937年11月24日。
  20. ^ 『官報』第3672号、1939年4月5日。
  21. ^ 『官報』第4295号、1941年5月6日。
  22. ^ 『官報』第8684号、1912年6月1日。
  23. ^ 『官報』第883号、1915年7月12日。
  24. ^ 『官報』第2400号、1920年8月2日。
  25. ^ 『官報』第3131号、1923年1月11日。
  26. ^ 『官報』第3149号、1923年2月1日。
  27. ^ 『官報』第73号、1927年3月31日。
  28. ^ 『官報』第68号、1927年3月25日。
  29. ^ 『官報』第1583号、1932年4月12日。
  30. ^ 『官報』第1867号、1933年3月24日。
  31. ^ 『官報』第3084号、1937年4月16日。
  32. ^ 『官報』第3456号、1938年7月12日。
  33. ^ 『官報』第4309号、1941年5月22日。

参考文献

[編集]
  • 「飯能人物誌」、1970年、39―41ページ。

外部リンク

[編集]