コンテンツにスキップ

島原市立第三小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島原市立第三小学校
2022年11月撮影
地図北緯32度46分28秒 東経130度22分18秒 / 北緯32.77448度 東経130.3717度 / 32.77448; 130.3717座標: 北緯32度46分28秒 東経130度22分18秒 / 北緯32.77448度 東経130.3717度 / 32.77448; 130.3717
過去の名称 公立中等匯参小学校
湊尋常小学校
島原湊尋常高等小学校
島原第三尋常高等小学校
島原第三国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 島原市
併合学校 松嶼小学校
芳州小学校
設立年月日 1874年(明治7年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210000661 ウィキデータを編集
所在地 855-0825
長崎県島原市広馬場町7758番地
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

島原市立第三小学校(しまばらしりつだいさんしょうがっこう, Shimabara City Daisan Elementary School)は、長崎県島原市広馬場町にある公立小学校。略称は「三小」(さんしょう)。

概要

[編集]
歴史
1874年明治7年)に開校した「芳州小学校」と「湊小学校」を前身とする。1882年(明治15年)に統合。現校名になったのは1947年(昭和22年)。2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。
校章
中央に「三小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
1951年(昭和26年)9月に制定。作詞は島内八郎、作曲は伊藤英一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「島原第三」が登場する。
校区
住所表記で島原市の後に「新山一~四丁目、崩山町、坂上町、坂下町、八幡町、西八幡町、栄町、浦田一・二丁目、蛭子町一・二丁目、白土桃山一・二丁目、霊南一・二丁目、有馬船津町、津町、元船津町、湊新地町、広馬場町、中組町、白山町、湊町、緑町、下川尻町、南下川尻町、湖南町」が続く地区。
中学校区は島原市立第二中学校


児童数推移

児童数の推移
明治24年 100 昭和25年 1662 昭和49年 1077 平成元年 786 平成16年 444 令和元年 277
15年 241 30年 1663 50年 1063 2年 758 17年 436
24年 335 33年 1882 51年 1045 3年 726 18年 430
28年 433 35年 1728 52年 1035 4年 653 19年 414
45年 912 37年 1668 53年 1035 5年 626 20年 430
大正7年 972 38年 1400 54年 1028 6年 576 21年 384
10年 933 40年 1315 55年 1046 7年 588 22年 393
13年 1146 41年 1259 56年 1027 8年 547 23年 357
昭和3年 1178 42年 1246 57年 1007 9年 515 24年 338
5年 1271 43年 1209 58年 997 10年 507 25年 319
10年 1545 44年 1188 59年 955 11年 502 26年 289
15年 1696 45年 1179 60年 935 12年 491 27年 285
20年 1877 46年 1120 61年 881 13年 477 28年 265
21年 1904 47年 1114 62年 866 14年 456 29年 283
22年 1619 48年 1078 63年 838 15年 465 30年 271

沿革

[編集]
旧・芳州小学校
  • 1874年(明治7年)
    • 6月1日 - 蛭子(えびす)町に「三番小学蛭子町学校」が設置される。当時の児童数は男子が59名、女子が20名。
    • 9月29日 - 林好太郎が所有地の船津蛭子町2170番地の43坪2合の土地を校地として寄付。
  • 1875年(明治8年)10月 - 「芳州小学校」に改称。
旧・湊小学校
  • 1874年(明治7年)10月15日 - 八幡神社に「四番小学湊学校」が創立。
  • 1875年(明治8年)10月 -「松嶼小学校」に改称。
統合
  • 1882年(明治15年)11月 - 上記2校が統合の上、「公立中等匯参小学校」となる。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令の施行により、「尋常湊小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、湊町立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)3月 - 「尋常小学校」と改称(「尋常」の位置が変更となる)。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を新設。
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 高等科を併置の上、「島原湊尋常高等小学校」に改称。
  • 1924年(大正13年)
    • 4月1日 - 新・島原町の発足[1]に伴い、「島原第三尋常高等小学校」に改称[2]。島原町立の小学校となる。
  • 1928年昭和3年)4月 - 鉄筋コンクリート造の校舎を新築。
  • 1940年(昭和15年)4月1日 - 島原市の発足により、島原市立の小学校となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「島原第三国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 島原第三国民学校の初等科が改組され、「島原市立第三小学校」(現校名)となる。
    • 島原第三国民学校の高等科が改組され、新制中学校島原市立第二中学校」が発足。校舎完成までの間、第三小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)10月 - 第二中学校の校舎が完成し移転。
  • 1951年(昭和26年)9月 - 校歌を制定。
  • 1968年(昭和43年)7月 - プールが完成。
  • 1974年(昭和49年)- 創立100周年を迎える。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 体育館が完成。
  • 1977年(昭和52年)- 全学年合同の同窓会が発足。
  • 1978年(昭和53年)
    • 4月 - 長崎県立島原養護学校が校舎完成までの間併設される。
    • 7月 - 長崎県立島原養護学校の校舎が完成し併設を解消。
  • 1980年(昭和55年)1月13日 - 二階建て木造校舎全焼。
  • 1981年(昭和56年)1月 - 三階建て新校舎が完成。
  • 1990年(平成2年)11月17日 - 雲仙普賢岳が198年ぶりに噴火。
  • 1991年(平成3年)6月3日 - 雲仙普賢岳で大火砕流が発生。
    • 6月 - 噴火により体育館が緊急避難所。
    • 8月 - 学級園の場所に第五小学校のプレハブ仮設校舎を建設。
      • 第五小学校、本校の空教室にて授業。
  • 1992年(平成4年)8月 - 第五小学校受入れ終了。
  • 2002年(平成14年)4月 - 完全学校週5日制が開始。
  • 2012年(平成24年)- 新校舎が完成。

交通アクセス

[編集]
最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの国道

周辺

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 島原町、湊町、島原村の合併による。
  2. ^ この際、島原(村)尋常小学校が高等科を併置し「島原第一尋常高等小学校」(現・島原市立第一小学校)、島原町尋常小学校が「島原第二尋常小学校」(現・島原市立第二小学校)となった。なお1940年(昭和15年)4月1日に島原町・杉谷村・安中村の合併で島原市が発足したことにより、杉谷尋常高等小学校が「島原第四尋常高等小学校」(現・島原市立第四小学校)に、安中尋常高等小学校が「島原第五尋常高等小学校」(現・島原市立第五小学校)となった。

参考文献

[編集]
  • 「島原の歴史 自治制編」(1976年(昭和51年)12月発行、編集:入江壻、出版:島原市役所)

関連項目

[編集]