コンテンツにスキップ

小須田和彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小須田 和彦(こすだ かずひこ、1961年〈昭和36年〉 - )は日本テレビプロデューサーフジテレビスポーツ局チーフゼネラルプロデューサー。

通称「日本一ついてない男」[注釈 1]

来歴・人物

[編集]

群馬県出身。群馬県立高崎高等学校(1980年卒、79期[1])では硬式野球部に所属[2]

1981年(昭和56年)、早稲田大学法学部に入学[1]。1985年(昭和60年)、同大学卒業後、制作会社VIC株式会社に入社[1]。1993年(平成5年)、フジテレビジョン(フジテレビ)に入社[1]。主にバラエティ番組を担当し、「ダウンタウンのごっつええ感じ」のディレクター・プロデューサーなどを務めていた。

1997年(平成9年)10月、ヤクルトスワローズの優勝決定試合中継の為「ごっつええ感じ」の特番が急遽中止になり、松本人志の激怒やフジテレビへの不信感から始まり、その後吉本興業をも巻き込んでの番組打ち切り騒動に発展した。同時に小須田が企画していたロンドンブーツ1号2号の新番組が立ち消えとなり、更にはディレクターとして演出担当をしていた「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」が終了した。これらの責任を取る形でスポーツ部に異動[3]。さらに同年12月の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、電話口で号泣したところ8秒で合格[3]。友人の甲斐よしひろと飲みながら電話し、明石家さんまに慰められた。この一連の「ついてなさ」や人事異動が、下記のキャラクター「小須田部長」のベースとなった。

オーバーしていた美術予算管理の為に美術部へと人事異動したが、野球や競馬の人気低迷を打破する為にスポーツ局に引き抜かれた。「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」をお台場明石城でプレゼンし、2004年(平成16年)11月1日に復活させた。

2007年(平成19年)初夏の人事異動で、スポーツ局副部長からバラエティセンターに復帰した。2009年(平成21年)6月、水口昌彦ポニーキャニオン取締役に就任するのを機に、デスク担当部長から部長に昇進した。2011年(平成23年)6月29日付で、専任局次長に就任[4]

2012年(平成24年)6月28日より現職。

小須田部長

[編集]

小須田をモデルとした[3]小須田部長」は1999年(平成11年)11月から2001年(平成13年)9月まで同局で放送された『笑う犬の冒険』で内村光良が演じたキャラクターである。

部長職に付くまでは優秀な人物だったのだが、忘年会で社長の物真似をした事から社長を激怒させてしまい、その後毎回のように余計な事をやって社長や幹部を怒らせ、都度転勤(左遷)となって無茶な作業をやらされ(毎回役職も変わっているため、厳密には部長ではない)、妻から三行半を叩きつけられる。

最終回では映画「アルマゲドン」に近いテイストのコントを披露し、宇宙へと旅立った。

担当番組

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 明石家さんまが命名。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d 「潮流:スポーツとテレビ」、『高崎高校同窓会報』第46号、高崎高校同窓会、平成24年11月30日発行、p.4
  2. ^ 『翠巒体育会報』第31号、翠巒体育会、2012年6月28日発行、P.1
  3. ^ a b c 『翠巒体育会報』第31号、翠巒体育会、2012年6月28日発行、P.2
  4. ^ 連合通信ドットコム6月24日投稿日より