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小川金之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おがわ きんのすけ

小川 金之助
生誕 愛知県丹羽郡岩倉村(現・岩倉市
国籍 日本の旗 日本
流派 北辰一刀流
身長 182 cm (6 ft 0 in)
体重 90 kg (198 lb)
肩書き 剣道範士十段
受賞 紫綬褒章
全日本剣道連盟剣道殿堂顕彰
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小川 金之助(おがわ きんのすけ、1884年明治17年〉5月18日[1] - 1962年昭和37年〉3月30日[1])は日本剣道家。段位称号範士十段

経歴

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愛知県丹羽郡岩倉村(現・岩倉市)に生まれる。名古屋へ出て北辰一刀流 加藤貫一(加藤七左衛門の養父)に入門。

愛知県警察部勧誘されたが、小川は警察官になる気はなく、一旦断った。「制服は着なくてもよい、試験だけは形式的に受けろ」と説得され、1903年(明治36年)、愛知県警察部に奉職。京都大日本武徳会出張修行を命じられ、3年半修行した。

愛知県巡査教習所剣道教師を経て、1914年大正3年)に内藤高治の要請で武道専門学校助手に就任。

1919年(大正8年)、道場「弘道館」を開く。

1929年(昭和4年)、内藤高治の死去にともない、武道専門学校教授に就任(1944年(昭和19年)まで務める)。

1934年(昭和9年)、皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会特選試合に出場し、持田盛二との試合を披露。

1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会特選試合に出場し、斎村五郎との試合を披露。

1957年(昭和32年)、全日本剣道連盟から剣道十段を授与される。

1959年(昭和34年)、剣道家として初の紫綬褒章を受章。

2003年(平成15年)、全日本剣道連盟剣道殿堂に顕彰される。

脚注

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  1. ^ a b 『剣道事典 技術と文化の歴史』339頁。

参考文献

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