小宮山常吉
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小宮山 常吉 こみやま つねきち | |
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生年月日 | 1882年10月18日 |
出生地 | 山梨県西山梨郡甲府若松町(現・甲府市若松町) |
没年月日 | 1974年4月24日(91歳没) |
出身校 | 甲府市立小学校高等科 |
所属政党 |
(無所属→) 緑風会 |
称号 |
従四位 勲二等瑞宝章 |
子女 |
長男・小宮山英蔵(平和相互銀行会長) 次男・小宮山精一(元平和相互銀行社長) 四男・小宮山重四郎(衆議院議員) |
親族 |
孫・小宮山泰子(衆議院議員) 曾孫・小宮山雄飛(音楽家) |
選挙区 | 山梨県地方区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年5月3日 - 1953年5月2日 |
小宮山 常吉(こみやま つねきち、1882年(明治15年)10月18日[1] - 1974年(昭和49年)4月24日[1][2][3])は、明治から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。
経歴
[編集]山梨県[1][注 1]西山梨郡甲府若松町(現甲府市若松町[2])で小宮山栄兵衛の長男として生まれる[4]。甲府市立小学校高等科を卒業[1]。甲府市内の河内屋古着店に勤める[1][4]。1902年(明治35年)に上京し家具販売業を創業し[4]、のち鉄鋼原料商を営んだ[2]。1928年(昭和3年)[要出典]に長男英蔵が屑鉄・スクラップ業の小宮山商店を創業し、英蔵は常務取締役として、のちの平和相互銀行を中心とする「小宮山コンツェルン」の基礎を築いた[5][要出典]。
機械製造販売業も営み[1]、足立鋼管社長、足立産業社長、昭和鋼管社長、協同証券重役、小島特殊機械製作所重役、大洋観光重役、京浜ホテル重役、日本金銀糸工業重役などを務めた[1][2][3]。太平洋戦争(大東亜戦争)中には朝鮮、満洲国などに事業を拡大し、鋼材・機械工具などの製造販売を行った[2]。
1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に山梨県地方区から無所属で出馬して当選し[1][2][6]、参議院議員に1期在任した[1][3]。この間、参議院弔詞案起草に関する特別委員長などを務めた[3]。
1959年(昭和34年)武蔵野開発代表となり[1]、晩年は平和相互銀行会長を務めた[2]。
1966年(昭和41年)春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[7][8]。
1974年(昭和49年)4月24日死去、91歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[9]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』308頁では本籍東京都。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』256頁。
- ^ a b c d e f g 『山梨百科事典』増補改訂版、398頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』308頁。
- ^ a b c 『大衆人事録 第14版 東京篇』402頁。
- ^ 台湾日日新報 1938.11.20 (昭和13年) 『資本金三千万円の台湾重工業計画 中南支南洋より原鉱輸入 鉄鋼五十万瓲其他を製造』 神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫 工業(09-025)
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』461頁。
- ^ 「小宮山 常吉」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』 。コトバンクより2022年12月30日閲覧。
- ^ 『官報』号外第48号2頁 昭和41年4月30日号
- ^ 『官報』第14203号8-9頁 昭和49年5月7日号
参考文献
[編集]- 『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
- 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。