奥井迪
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基本情報 | ||||
本名 |
奥井 迪 おくい ふみ | |||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1981年12月19日(42歳) | |||
身長 | 167.3cm | |||
体重 | 69.7kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 日本競輪選手会東京支部 | |||
期別 | 106期 | |||
登録地 | ||||
2014年 - | 日本競輪選手会東京支部 | |||
業績 | ||||
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■最終更新日:2022年9月19日 ■テンプレートを表示 |
奥井 迪(おくい ふみ、1981年12月19日 - )は、北海道札幌市出身の女子競輪選手。日本競輪選手会東京支部所属。ホームバンクは立川競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第106期生。師匠は富山健一(43期)。
来歴
[編集]小学校のときから兄・理(みがく)[1]の影響でアルペンスキー(以下、スキー)に取り組み、札幌第一高等学校時代、全国高等学校スキー大会(インターハイ)の回転で優勝。その後、早稲田大学(以下、早大)に進学。2003年の冬季ユニバーシアードに出場[2]。卒業年となる2004年に、第59回国民体育大会・大回転で優勝した[3]。
だが、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業後、中学校の保健体育教諭となったこともあり、スキーはプライベートレベルの出場にとどまった。このことについて、「スキーでは不完全燃焼だった。五輪に出たいと思っていたけれど、自分の中で限界を作っていた」と述懐[4]。
転機は2012年の春、札幌第一高等学校のOB会に出席した際、同校のOBで、スキー選手から転じて競輪選手となった藪下昌也(52期、引退)に、『今年から女子競輪が始まるぞ』と言われたことがきっかけだった。同年8月、ガールズサマーキャンプに参加。これでさらに意欲が増したことから、競輪学校受験を決意。2012年12月20日、競輪学校第106回適性試験に合格[5]。同校では生徒会長を務めた。また、在校競走成績は6位(12勝)だった[6]。
2014年5月14日、武雄競輪場でデビューし5着。初勝利は同年5月31日の名古屋競輪場で挙げたが、これは初優勝でもあった[7]。
2015年には17連勝(9月18日 - 12月4日)を記録[8]、2016年にも19連勝(5月13日 - 7月16日)を記録。ガールズグランプリは2015年・2016年・2017年・2019年と選出され[9]、うち2016年と2017年は2着(特に2017年はタイヤ差)であった。ガールズケイリンコレクションも2015年3月の京王閣ステージで初出場以降は、2021年を除いて毎年いずれかのステージで出場を続けている。ガールズケイリンフェスティバルでは、第4回大会(2017年)では選考順位1位として選出された[10]。
2019年1月16日、高知競輪場2日目第7レースにて勝利し、ガールズケイリンで初となる通算300勝を達成(414戦目での達成。勝率.725)[11]。ガールズケイリンとしては史上最短となる登録日から4年9ヶ月6日(登録日を含まない)での達成でもあり、また登録日から7年以内という規程に基づきJKAより表彰対象となり、翌2月10日にホームバンクである立川競輪場にて通算300勝達成表彰式が執り行われた[12]。また、同年は獲得賞金争いで僅差で小林莉子に競り勝ち地元・立川でのガールズグランプリ出場権を獲得、2年ぶりに出場した。
2021年6月5日、高松競輪場初日第6レースにて勝利し、ガールズケイリンでは石井寛子に次ぎ史上2人目となる通算400勝を達成[13]。
2022年9月19日、第38回共同通信社杯競輪(名古屋競輪場)最終日第11レースで行われた「ティアラカップ」[14]にて、ビッグレース初制覇。賞金ランキング上位で3年ぶりに同年末のガールズグランプリに出場し、3着。また同年の獲得賞金額は自己最高となる1990万8600円でランキング4位であった。
2023年3月20日、前橋FII2日目第6レースで勝利し、通算500勝を達成。ガールズケイリンでは石井寛子に次いで2人目、男子も含めると通算45人目の記録。2014年4月10日の登録日から8年11か月10日(デビュー日を含まない)での達成であった[15]。 また、同日時点での通算獲得賞金額は、1億2760万900円[16]となった。のち、規程により4月5日に立川競輪場にて通算500勝表彰式が行われた[17]。
競走スタイル
[編集]戦法は逃げが主体で、連対時の決まり手も逃げが多く、先行日本一と称される[18]。2022年のティアラカップも、逃げ切りで優勝を果たした[19]。
後輩のガールズケイリン選手の中には、奥井の走りを見て選手を目指した者(日野未来、高木佑真ら)もおり、良い影響を与えている。
主な獲得タイトルと記録
[編集]- 2022年 - ティアラカップ(名古屋競輪場)
- 通算300勝達成 - 2019年1月16日、高知競輪場2日目第7レース(ガールズケイリン史上初。表彰対象)
- 通算400勝達成 - 2021年6月5日、高松競輪場初日第6レース(ガールズケイリン史上2人目)
- 通算500勝達成 - 2023年3月20日、前橋競輪場2日目第6レース(ガールズケイリン史上2人目。表彰対象)
脚注
[編集]- ^ 6歳上の兄は画家を目指していたが、交通事故により19歳で夭折。(自身の兄弟姉妹には19歳の若さで他界した6歳上の兄の理(みがく)の他に年子の姉の潤がいる末っ子である)。札幌市中央区旭ヶ丘にて両親の運営する記念ギャラリーが設置されている。
- ^ 第21回ユニバーシアード冬季大会 競技結果:スキー(アルペン)
- ^ 国民体育大会記録集(PDF、第1回から第65回まで)
- ^ 2013年04月16日 さよなら教壇 ケイリンで五輪再挑戦 - 朝日新聞(リンク切れ)
- ^ 日本競輪学校第106回生徒入学試験合格者名簿 (PDF)
- ^ 競走成績戦法別一覧表(女子第3回生)総合 (PDF)
- ^ 2014/05/31(最終日)第12レースA級ガールズ決勝
- ^ 奥井迪1着も失格、小林莉子は落車で大波乱/和歌山 日刊スポーツ 2015年12月5日17時0分
- ^ 2018年は僅かに賞金が足らず補欠であった。逆に2019年は同郷の小林莉子と競ったが若干上回り選考順位7位で滑り込んだ。
- ^ “ガールズケイリンフェスティバル2017(FⅡ) 出場予定選手” (PDF). KEIRIN.JP (2017年5月23日). 2017年5月24日閲覧。
- ^ “ガールズ初!奥井迪選手の通算300勝達成について”. KEIRIN.JP (2019年1月16日). 2019年1月16日閲覧。
- ^ “奥井迪選手の通算300勝表彰式が行われました!”. ガールズケイリン情報配信サイト (2019年2月11日). 2019年2月11日閲覧。
- ^ “奥井迪が通算400勝達成 ~高松競輪場~”. 日刊プロスポーツ新聞社 (2021年6月5日). 2022年6月14日閲覧。
- ^ この時は、ガールズケイリン10周年を記念して行われた単発の企画レースとして行われ、歴代のガールズグランプリ優勝者と、歴代の同2着選手(奥井は2016年、2017年と2年連続2位)のうち選考期間中の競走得点上位選手を選抜して行われた。
- ^ “奥井迪選手が通算500勝達成!!”. KEIRIN.JP(JKA) (2023年3月20日). 2023年3月20日閲覧。
- ^ “奥井迪が通算500勝達成 ガールズケイリンでは2人目の大記録”. netkeirin (2023年3月20日). 2023年2月20日閲覧。
- ^ “奥井迪が500勝報告会で暮れのガールズGP優勝へ意欲「立川は特別な思いがある」/立川”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年4月5日) 2023年4月6日閲覧。
- ^ “【ガールズグランプリ】奥井迪 ホームバンクの夢舞台で"先行日本一"を証明する”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2016年12月27日). オリジナルの2017年8月11日時点におけるアーカイブ。 2017年8月11日閲覧。
- ^ “『第38回共同通信社杯(GII)レポート』 最終日編”. KEIRIN.JP (2022年9月19日). 2022年9月20日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手情報: 奥井 迪 - KEIRIN.JP
- 選手プロフィール - ガールズケイリン情報配信サイト