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大沢孝 (実業家)

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大澤 孝(おおさわ たかし、1910年7月26日 - 1987年1月10日)は、日本の経営者山梨県出身[1]

経歴

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府立一中を経て[2]1935年慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に鐘紡に入社[1]

1949年鐘淵化学工業(現在のカネカ)に転じ、1956年11月に取締役に就任し、1962年2月に常務、1968年5月に専務を経て、1969年5月に副社長に就任し、1974年11月には社長に昇格[1]1978年11月に会長に就任し、1982年6月から相談役を務めた[1]

1987年1月10日脳梗塞のために死去[3]。76歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1985, お153頁.
  2. ^ 『東京府立第一中学校五十年史』巻末「如蘭会員及現在生徒名簿」(東京府立第一中学校、1929年)参照
  3. ^ 1987年 1月12日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 上』人事興信所、1985年。 
先代
井上徳治
鐘淵化学工業社長
1974年 - 1978年
次代
高田敞