国鉄ホキ6500形貨車
国鉄ホキ6500形貨車 | |
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基本情報 | |
車種 | ホッパ車 |
運用者 | 日本国有鉄道 |
所有者 | 日本ゼオン、三菱化成工業 |
旧形式名 | ホキ1900形(初代) |
改造年 | 1963年(昭和38年)* |
改造数 | 16両 |
消滅 | 1973年(昭和48年) |
常備駅 | 能町駅、黒崎駅他 |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
専用種別 | カーバイド |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 14,100 mm |
全幅 | 2,523 mm |
全高 | 3,690 mm |
ホッパ材質 | 普通鋼(一般構造用圧延鋼材) |
荷重 | 25 t |
実容積 | 26.3 m3 |
自重 | 20.4 t - 20.7 t |
換算両数 積車 | 4.5 |
換算両数 空車 | 2.2 |
台車 | TR41C |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 1,650 mm |
台車中心間距離 | 10,000 mm |
最高速度 | 75 km/h |
備考 | *称号規程変更年 |
国鉄ホキ6500形貨車(こくてつホキ6500がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍したカーバイド専用 25 t 積みホッパ車である。
概要
[編集]1956年(昭和31年)8月30日に汽車製造、川崎車輛、三菱重工業の3社にてホキ190形4両(ホキ190 - ホキ193)が製作された。ホキ190形は、1957年(昭和32年)4月の形式変更によりホキ1900形(初代)に改められ全車改番された。
その後も製造は継続され、1959年(昭和34年)1月22日までに12両(ホキ1904 - ホキ1915)が増備された。
ホキ1900形(初代)は、1963年(昭和38年)7月26日の称号規程変更によりホキ6500形に改められ全車改番された。
所有者は日本ゼオン、三菱化成工業の2社であり、夫々の主な常備駅は能町駅、黒崎駅であった。
1967年(昭和42年)12月14日に、三菱化成工業所有車5両(ホキ6511 - ホキ6515)が鐘淵化学工業へ名義変更され常備駅は、塩浜駅へ変更した。
1971年(昭和46年)6月28日に、三菱化成工業所有車3両(ホキ6508 - ホキ6510)が日本陸運産業へ名義変更され常備駅は、高砂港駅へ変更した。この車は同年11月6日にタキ1500形3両(タキ31598 - タキ41500)へ改造された。
箱型有蓋ホッパ車である内部は6室構造になっており、夫々の積込口、取出口を備えていた。荷役方式はホッパ上部積込口よりの上入れ、側面の取出口からの横出し式であった。
車体塗色は黒で、全長は14,100 mm、全幅は2,523 mm、全高は3,690 mm、台車中心間距離は10,000 mm、実容積は26.3 m3、換算両数は積車4.5、空車2.2である。台車は、ベッテンドルフ式のTR41Cであった。
1973年(昭和48年)に最後まで在籍した車が廃車になり形式消滅した。
年度別製造数
[編集]各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
- 昭和31年度 - 4両
- 汽車製造 1両 日本ゼオン(ホキ190→ホキ1900→ホキ6500)
- 川崎車輌 2両 日本ゼオン(ホキ191 - ホキ192→ホキ1901 - ホキ1902→ホキ6501 - ホキ6502)
- 三菱重工業 1両 日本ゼオン(ホキ193→ホキ1903→ホキ6503)
- 昭和32年度 - 4両
- 川崎車輌 4両 日本ゼオン(ホキ1904 - ホキ1907→ホキ6504 - ホキ6507)
- 昭和33年度 - 8両
- 川崎車輌 8両 三菱化成工業(ホキ1908 - ホキ1915→ホキ6508 - ホキ6515)
参考文献
[編集]- 鉄道公報
- 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)
- 吉岡心平『RM LIBRARY 140 有蓋ホッパ車のすべて(上)』(ネコ・パブリッシング、2011年)ISBN 978-4-7770-5306-3