コンテンツにスキップ

向西兵庫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

向西 兵庫(むこうにし ひょうご、1868年1月12日慶応3年12月18日)- 没年不詳)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

[編集]

安芸国広島城下(現:広島県広島市)出身。1893年(明治26年)5月、陸軍士官学校(4期)を卒業。1894年(明治27年)3月、歩兵少尉に任官。日清戦争に出征。歩兵第43連隊付、陸軍中央幼年学校中隊付などを経て、1901年(明治34年)11月、陸軍大学校(15期)を優等で卒業。歩兵第12連隊中隊長を経て参謀本部に配属となり、日露戦争では大本営兵站総監部参謀として出征。後、ドイツ駐在を経験した。

1912年(大正元年)9月、陸軍歩兵学校教育部長となり、同年11月、歩兵大佐に昇進。1913年(大正2年)6月、陸士生徒隊長に転じ、以後、教育総監部第2課長、歩兵第6連隊長を歴任。1917年(大正6年)8月、陸軍少将に進級し青島守備歩兵隊司令官として中華民国青島市に赴任。1918年(大正7年)7月、青島守備軍参謀長に転じた。

1920年(大正9年)8月、歩兵第2旅団長となる。1922年(大正11年)8月、陸軍中将に進み、第11師団長に親補された。1926年(大正15年)3月に待命となり、予備役に編入された。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

[編集]

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 参謀本部「11月20日 向西歩兵大尉叙勲申牒の期に相達候を以て申牒書並に履歴書送付の件」明治35年。アジア歴史資料センター レファレンスコード:C09122902600

脚注

[編集]
  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  2. ^ 『官報』第3258号「叙任及辞令」1894年5月12日。
  3. ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。
  4. ^ 『官報』第3684号「叙任及辞令」1924年12月2日。