吉岡郷甫
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吉岡 郷甫 | |
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誕生 |
1876年1月6日 山口県吉敷郡井関村(現・山口市) |
別名 | 向陽(号) |
死没 | 1937年10月10日(61歳没) |
職業 | 教育者、官吏 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京帝国大学文科大学 |
代表作 |
『尋常小学読本』『高等小学読本』(1903-1904年) 『日本口語法』(1906年) 『文語口語対照語法』(1912年) |
吉岡 郷甫(よしおか きょうすけ[1]、1876年(明治9年)1月6日[2] - 1937年(昭和12年)10月10日[3])は、山口県出身の文部官僚。日本語学者。
経歴
[編集]山口県出身。
- 1876年1月(明治9年) 吉岡武一の長男として出生[1]
- (旧旧)山口高等学校を経て、1899年(明治32年)東京帝国大学文科大学国文学科を卒業[2]。
- 文部省図書審査官、同視学官[1]
- 文部省督学官[1]
- 1921年(大正10年)浦和高等学校校長[1]
- 1927年(昭和2年)東京女子高等師範学校校長[1]
- 文政審議会委員[1]
- 教科書調査会委員[1]
- 国語審議会委員[1]
- 1935年4月(昭和10年) 退官[1]
- 1935年4月(昭和10年) 東京女子高等師範学校[1]
- 1937年10月10日(昭和12年) 没[3]
著書
[編集]- 『日本口語法』(大日本図書、1906年)
- 『文語口語対照語法』(光風館、1912年)
- 『中等国語法』(東京宝文館、1918年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
関連文献
[編集]- 「吉岡郷甫君」(井関九郎撰 『現代防長人物史 地』 発展社、1917年12月)
- 井関九郎編 『近代防長人物誌 地』 マツノ書店、1987年2月
- 「職員淘汰の大嵐=実行型の吉岡郷甫」(吉田千之著 『竜南人物展望』 九州新聞社出版部、1937年12月)
- 唐沢富太郎 「吉岡郷甫 : 口語法を唱導し、国定教科書編纂に尽くす」(唐沢富太郎編著 『図説 教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像 中巻』 ぎょうせい、1984年4月)
- 石井庄司 「吉岡郷甫」(国語教育研究所編 『国語教育研究大辞典』 明治図書出版、1988年)
外部リンク
[編集]- お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ - 肖像写真などが閲覧できる。
- 熊本大学五高記念館 五高の歴史 - 肖像写真が閲覧できる。
その他の役職 | ||
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先代 和田鼎 |
東洋高等女学校長 1936年 - 1937年 |
次代 小松倍一 |