コンテンツにスキップ

北条時広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
北条時広
時代 鎌倉時代中期
生誕 貞応元年(1222年
死没 建治元年6月25日1275年7月19日
改名 義王丸、時広
別名 相模七郎
官位 式部少丞、従五位下、武蔵守、越前守、
従五位上
幕府 鎌倉幕府 評定衆、四番引付頭人
主君 藤原頼嗣宗尊親王惟康親王
氏族 北条氏(時房次男・時村流)
父母 父:北条時村、母:未詳
養父:北条時房 (実の祖父)
兄弟 時隆時広忠源
北条資時の娘
娘(北条宣時妻)、娘(渋川義春妻)
テンプレートを表示

北条 時広(ほうじょう ときひろ)は鎌倉時代中期の北条氏の一門。父は北条時房の次男・北条時村

父時村は承久2年(1220年)に弟(時広の叔父)の資時と共に出家し、嘉禄元年(1225年)12月に没した。時広は祖父時房の養子となり、引付衆評定衆、四番引付頭人の要職を務めた。建治元年(1275年6月25日、54歳で没。

男子はなく、時村流は時広の甥で兄時隆の子宗房が継いでいる。

和歌が得意で将軍の歌席寄人や歌仙結番に選ばれている。北条家一門随一の風流文化人でもあった。

経歴

[編集]
  • 1245年(寛元3年)9月12日 式部少丞任官。
  • 1247年(宝治元年)1月5日 従五位下に叙位。
  • 1247年(宝治元年)3月6日 武蔵権守に転任。
  • 1258年(正嘉2年)1月13日 越前守に遷任。
  • 1260年(文応元年)4月17日 越前守辞任。
  • 1261年(文応2年)11月 将軍歌仙結番就任。
  • 1264年(文永元年)11月15日 幕府引付衆に就任。
  • 1265年(文永2年)3月9日 従五位上に昇叙。
  • 1265年(文永2年)6月11日 幕府評定衆に就任。
  • 1269年(文永6年)4月7日 四番引付頭人を兼帯。 ※参考:関東評定伝(群書類従補任部所収)