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元毓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
元毓
北魏
王朝 北魏
家名 河南元氏
子春
官職 通直散騎常侍
諡号 宣恭王
生年 永平2年(509年
生地 洛陽
没年 建義元年4月13日528年5月17日
没地 洛陽
父親 元謐

元 毓(げん いく)は、北魏皇族は子春。

生涯

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趙郡王元謐の長男として生まれた。献文帝の曾孫にあたる。524年に趙郡王位を継いだ。527年、通直散騎常侍中国語版に任じられた。528年河陰の変が起こると殺害された[1]。死後、使持節中国語版衛大将軍儀同三司冀州刺史[2]の位を追贈され、を宣恭とされた。子が無く、従兄弟の元寘(元謐の弟の元讞中国語版の子、字は景融)が後を嗣いだ。

脚注

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  1. ^ 元毓墓誌によると、4月13日洛陽で死去した。
  2. ^ 『魏書』では、青州刺史とする。

伝記資料

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  • 魏書』巻21上 列伝第9上
  • 魏故宣恭趙王墓誌銘(元毓墓誌)