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保科正寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
保科正寿
時代 江戸時代中期
生誕 宝永元年(1704年
死没 元文4年5月29日1739年7月4日
改名 喜三郎(幼名)、正寿
別名 正昭(別名)
戒名 活参玄道霊仙院
墓所 東京都杉並区和泉大円寺
官位 従五位下、弾正忠
幕府 江戸幕府
上総飯野藩
氏族 保科氏
父母 保科正賢高木幾右衛門娘・春覚院
保科正殷
兄弟 正殷、次男、正寿水野忠富正室、
青山幸譚正室、保科正勝
津軽信寿娘・於染
清光院、正富
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保科 正寿(ほしな まさひさ)は、上総飯野藩の第5代藩主。

宝永元年(1704年)、第3代藩主・保科正賢の三男として生まれる(生年には元禄15年(1702年)説もある)。異母兄で第4代藩主の正殷に嗣子が無かったため、享保2年(1717年)2月にその養子となり、享保3年(1718年)11月22日に正殷が隠居すると家督を継いだ。12月には従五位下、弾正忠に叙位・任官する。

享保4年(1719年)、享保6年(1721年)、享保7年(1722年)に和田倉門番、享保5年(1720年)、享保18年(1733年)に日光祭礼奉行、享保10年(1725年)、享保11年(1726年)、享保17年(1732年)、元文2年(1737年)に半蔵口門番、享保8年(1723年)、享保13年(1728年)、享保15年(1730年)に大坂加番、元文2年(1737年)7月に大坂定番に任じられるなど、諸役を歴任した。

元文4年(1739年)5月29日、大坂で死去した。享年36。跡を次男の正富が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女

  • 保科正富(次男)生母は慈照院(正室)
  • 清光院