佐和隆研
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人物情報 | |
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生誕 |
1911年3月9日 日本広島県廿日市市 |
死没 | 1983年1月5日(71歳没) |
出身校 | 京都帝国大学文学部哲学科 |
子供 | 佐和隆光 |
学問 | |
研究分野 | 密教美術・仏像研究 |
研究機関 | 京都市立芸術大学 |
称号 | 京都市立芸術大学名誉教授、叙正四位 |
主な受賞歴 | 毎日出版文化賞、密教学芸賞 |
佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき[1]、1911年3月9日 - 1983年1月5日[2])は、日本の美術史家・仏教学者・真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授。嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。
人物
[編集]広島県生まれ。インドネシア、インド、アフガニスタンなど仏教美術の伝流経路、源流地を訪ね歩いた。
略歴
[編集]- 1911年 広島県佐伯郡廿日市町(のち廿日市市)に生まれる
- 1923年 得度し、真言宗醍醐派の僧籍に入る
- 旧制広島二中(現:広島県立広島観音高等学校)、旧制広島高等学校卒業
- 1935年 京都帝国大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業
- 1937年 高野山大学講師に就任
- 1940年 助教授に昇格
- 1942年 教授に昇格
- 1949年 京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)教授に転任
- 1969年 京都市立芸大美術学部長に就任
- 1971年 学長に就任
- 1974年 嵯峨美術短期大学学長に転任
- 醍醐寺霊宝館館長に就任
- 醍醐寺文化財研究所長に就任
- 1983年、死去。叙正四位
受賞歴
[編集]家族
[編集]経済学者の佐和隆光(京都大学名誉教授、滋賀大学学長)は息子。
著書
[編集]- 東洋美術文庫 図像(アトリヱ社 1940)
- 密教美術(大八洲出版 1947)
- 美術行脚高野山(便利堂 1947)
- 仏教美術(高野山出版社 1948)
- 密教美術論(便利堂 1955)
- 日本の密教美術(便利堂 1961)
- 日本の仏像(至文堂〈日本歴史新書〉1963)
- インドの美術(社会思想社〈現代教養文庫〉1963)
- 仏教美術入門 目で見る仏像の生いたち(社会思想社〈現代教養文庫〉1966)
- 日本密教 その展開と美術(日本放送出版協会〈NHKブックス〉1966)
- 西国巡礼 三十三所観音めぐり(社会思想社〈現代教養文庫〉1970)
- 仏像の流伝 インド・東南アジア編(法藏館 1971)
- 空海の軌跡(毎日新聞社 1973)
- 仏像 祈りの美(平凡社カラー新書 1974)
- 密教の寺 その歴史と美術(法藏館 1974)
- カラー遍路の旅 四国八十八カ所(淡交社 1976)
- 醍醐寺(東洋文化社 1976)
- 随論密教美術(美術出版社 1977)
- 日本の仏教美術(三麗社 1981)
- 白描図像の研究(法藏館 1982)
- 佐和隆研著作集 全4巻(法藏館 1997)
編著・共著
[編集]- 醍醐寺国宝目録(醍醐寺霊宝館 1937)
- 四天王像(便利堂 1942)
- 仏像図典(吉川弘文館 1962)
- 高野山 田村隆照(保育社カラーブックス 1963)
- 仏像案内(吉川弘文館 1963)
- 仏像-心とかたち 正・続(望月信成・梅原猛共著 日本放送出版協会〈NHKブックス〉1965、新版 2018)
- インドネシアの遺蹟と美術(日本放送出版協会 1973)
- 密教辞典(法藏館 1975)
- 御室版両部曼荼羅尊像集(法藏館 1981)
- 密教美術の原像 インド・オリッサ地方の仏教遺蹟(法藏館 1982)
- 空海とその美術(朝日新聞社 1984)
論文
[編集]脚注
[編集]- ^ 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービスは、「サワタカアキ」の読みを併記している。
- ^ 『佐和隆研』 - コトバンク