伴保平
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時代 | 平安時代前期 - 平安時代中期 |
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生誕 | 貞観9年(867年) |
死没 | 天暦8年4月16日(954年5月20日) |
官位 | 従三位・参議 |
主君 | 宇多天皇 → 醍醐天皇 → 朱雀天皇 → 村上天皇 |
氏族 | 大伴氏(伴宿禰 → 伴朝臣) |
父母 | 父:伴春雄 |
兄弟 | 保平、忠行、保在 |
子 | 彦貞 |
伴 保平(とも の やすひら)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。播磨守・伴春雄の子。官位は従三位・参議。
経歴
[編集]寛平3年(891年)内舎人に任ぜられ官途に就く。木工少允・織部正を経て、延喜9年(909年)従五位下・肥前守に叙任される。
延喜10年(910年)諸陵頭次いで修理亮と一時京官を務めるが、翌延喜11年(911年)若狭守として再び地方官に遷ると、紀伊守・伊勢守・大和守・近江守と、醍醐朝の後半から朱雀朝にかけてほぼ30年の長きに亘って地方官を歴任する。またこの間、延喜17年(917年)従五位上、延長6年(928年)正五位下と昇進している。
延長8年(930年)朱雀天皇の即位に伴い従四位下に、承平2年(932年)には長年の治国の功労により従四位上に昇叙されるなど、朱雀朝では順調に昇進し、天慶2年(939年)には参議に任ぜられて73歳にして公卿に列した。その後は議政官として大蔵卿を長く兼帯し、近江守・播磨守・大和権守と引き続き地方官も兼任した。この間、天慶4年(941年)正四位下に昇叙され、天慶5年(942年)には宿禰姓から朝臣姓に改姓されている。
村上朝の天暦4年(950年)正月に従三位に叙せられるが、同年10月参議を致仕する。致仕後の天暦5年(951年)右大臣・藤原師輔の大饗に列している。天暦8年(954年)4月16日薨去。享年88。最終官位は大蔵卿前参議従三位。
官歴
[編集]- 寛平3年(891年) 3月9日:内舎人
- 昌泰2年(899年) 正月11日:木工少允
- 延喜5年(905年) 8月29日:織部正
- 延喜9年(909年) 正月7日:従五位下。4月23日:肥前守
- 延喜10年(910年) 正月13日:諸陵頭。2月15日:修理亮
- 延喜11年(911年) 正月13日:若狭守
- 延喜17年(917年) 11月17日:従五位上(朔旦)
- 延喜18年(918年) 正月16日:紀伊守
- 延喜23年(923年) 正月12日:伊勢守
- 延長6年(928年) 正月7日:正五位下。正月28日[1]:大和守
- 延長8年(930年) 11月21日:従四位下(大嘗會)
- 承平2年(932年) 11月16日:従四位上(悠紀叙位治国々司)。11月26日:近江守
- 天慶2年(939年) 8月27日:参議、近江守如元
- 天慶4年(941年) 正月7日:正四位下。8月5日:近江守任了。12月18日:兼大蔵卿
- 天慶5年(942年) 7月1日:宿禰姓から朝臣姓に改姓。12月13日:兼播磨守
- 天暦元年(947年) 6月6日:兼大和権守
- 天暦4年(950年) 正月7日:従三位。10月15日:致仕。
- 天暦8年(954年) 4月16日:薨去