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伊達氏宗

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伊達氏宗
時代 室町時代前期
生誕 建徳2年(1371年
死没 応永19年7月17日1412年8月24日
諡号 受天公
戒名 受天
官位 従五位下兵部少輔
氏族 伊達氏
父母 伊達政宗蘭庭明玉禅尼
広教院
持宗
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伊達 氏宗(だて うじむね)は、室町時代前期の武士官位従五位下兵部少輔伊達氏10代当主。

概要

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9代当主・伊達政宗の子。母・輪王寺殿石清水八幡宮祠官善法寺通清の娘で、姉妹の広橋仲子が産んだ後円融天皇紀良子が産んだ室町幕府3代将軍足利義満とは母方の従兄弟関係にあたる。なおの「氏」の字は鎌倉公方足利氏満(義満の従兄弟)から偏諱を授けられたものである。

30年近くにわたり伊達家を統率し、時に鎌倉府との戦いも辞さなかった父とは対照的に、父の死後わずか7年、40代前半で亡くなっている。このため具体的な事績としては、父の菩提を弔うため東光寺を創建した程度である。また、氏宗が応永の頃に使用したとされる香炉形の朱印が現存している。

系譜

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関連作品

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