今成泰章
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 日本・東京都 |
生年月日 | 1955年7月14日 |
没年月日 |
2022年3月2日(66歳没) 日本・埼玉県朝霞市 |
選手情報 | |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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今成 泰章(いまなり やすあき、1955年7月14日[1] - 2022年3月2日)は、日本のプロ野球球団スタッフ。東京都生まれ。プロ野球選手の経験はないものの、阪神タイガースや北海道日本ハムファイターズで長らくスカウトを務めていた。
長男は埼玉県富士見市議会議員の今成優太、次男は野球解説者(日本ハムや阪神に所属した元・プロ野球選手)の今成亮太。
経歴
[編集]堀越高校時代は遊撃手や三塁手[2]、駒澤大学の硬式野球部時代には捕手としてプレー。駒澤大学への在学中に、全日本大学野球選手権大会で2度の優勝を経験していた。大学時代の同期生に、左投手の藤原仁がいる。ただし、選手としてのNPB入りは故障の影響で叶わず、卒業後の1978年に新卒のスカウトとして阪神タイガースに採用された。
阪神では、入団2年目の1979年に藤原を(当時のNPBで認められていた)ドラフト外で入団させたことを皮切りに、和田豊、平田勝男、中西清起、関川浩一、桧山進次郎、今岡誠などの獲得に尽力した[3]。1999年からチーフスカウトを務めた[4]が、スカウティングの方針を巡って当時の経営陣と対立。結局、2002年の8月末に依願退職の道を選んだ[5]。
2002年9月から埼玉県富士見市で「さんきゅう」という居酒屋を営んでいたが、旧知のスカウトからの説得を受けて、翌2003年に日本ハムファイターズ(翌2004年より北海道日本ハムファイターズ)の関東・東北地区担当スカウトとして球界に復帰[5]。須永英輝、押本健彦、ダルビッシュ有、大野奨太、杉谷拳士、中村勝、松本剛、上沢直之、大谷翔平、鍵谷陽平、太田賢吾、加藤貴之、野村佑希などの入団交渉を担当した[3]。
2005年には、浦和学院高等学校の3年生だった次男の亮太を、高校生ドラフト会議での4巡目指名を経て日本ハムへ入団させた。亮太も在籍中は捕手を務めていたが、2012年のシーズン途中に若竹竜士との交換トレードで阪神へ移籍。移籍を機にバッティングの能力を開花させると、内野手や外野手としても活躍した後に、現役引退(2018年)を経て2019年から2021年まで自身と同じく球団職員[注 1]として活動していた。
2022年の2月には、この年から日本ハムに監督として復帰した新庄剛志[注 2]による指揮の下で、上沢などが参加していた春季キャンプを視察。阪神のスカウトとして担当していた地区の違い[注 3]から獲得には携わらなかったものの、阪神への在籍中から折に触れて激励していた新庄に対して、「俺が(スカウトの立場で)獲得した選手を(試合で)使ってくれないか?」と冗談交じりで依頼する一幕も報じられていた。しかし、視察後の2月下旬頃に入院。キャンプ終了後(オープン戦期間中)の3月2日に、劇症型溶血性レンサ球菌感染症のため66歳で急逝した[1][6][7]。高校時代に対戦したスポーツライターの安倍昌彦によれば、5 - 6年前に前立腺癌の治療を受けていたという[8]。
花巻東高等学校からMLBへの挑戦を表明していた大谷をはじめ、「獲得が難しい」と見られる選手まで入団に導くほどの交渉手腕の持ち主で、阪神のスカウト時代から「マムシの今成」という異名を取っていた[3]。その一方で、スカウト活動と並行しながら、水谷フェニックス[注 4]の第3代代表・総監督[9]や富士見クラブ[注 5][10]の総監督を務めていた[11][12]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 所属部署は(スカウティング活動などを担当する)編成本部ではなく事業本部(振興部)で、「タイガースアカデミー ベースボールスクール」の専属コーチを務めるかたわら、現役時代の人気や弁舌を買われて在阪局制作のテレビ・ラジオ番組へ出演していた。
- ^ 新庄は選手時代、阪神への在籍期間が1990年から2000年、日本ハムへの在籍期間が2004年から2006年と、今成がスカウトとしてチームに在籍していた期間と重なっている。
- ^ 新庄は九州地区(福岡県の西日本短期大学附属高等学校)の出身で、同校から1989年ドラフト会議での6位指名を経て阪神に入団。
- ^ 埼玉県富士見市の軟式少年野球チーム。泰章死去後は長男の優太が代表代行としてチーム運営にあたっている。
- ^ 長男の優太が副代表を務めた選抜チーム。泰章死去後、総監督のポジションは空白となっている。
出典
[編集]- ^ a b 日本ハム今成泰章スカウト死去に選手ら黙とう 通夜、一般会葬は6日、告別式は7日に(『日刊スポーツ』2022年3月3日付記事)
- ^ 安倍昌彦 (2022年3月8日). “プロ未経験を武器に無名選手を次々に発掘。「死ぬまでスカウト」を実践した今成泰章氏を偲ぶ”. web Sportiva: p. 1 2022年3月9日閲覧。
- ^ a b c 【担当選手一覧】名物スカウト今成泰章さん急死 上沢ら下位でも逸材発掘(『日刊スポーツ』2022年3月4日付記事)
- ^ “日本ハム今成泰章スカウト死去に選手ら黙とう 通夜、一般会葬は6日、告別式は7日に”. 日刊スポーツ. (2022年3月3日) 2022年3月9日閲覧。
- ^ a b “66歳で急逝した今成泰章スカウトが日本ハムに鳴らしていた“警鐘””. 文春オンライン. (2022年3月12日) 2022年3月12日閲覧。
- ^ 日本ハム・今成スカウト 劇症型溶血性レンサ球菌感染症のため2日に死去 ダル、大谷、上沢らを担当(『スポーツニッポン』2022年3月2日付記事)
- ^ “今成泰章氏死去 プロ野球日本ハムスカウト”. 佐賀新聞LiVE. (2022年3月3日) 2022年3月9日閲覧。
- ^ 安倍昌彦 (2022年3月8日). “プロ未経験を武器に無名選手を次々に発掘。「死ぬまでスカウト」を実践した今成泰章氏を偲ぶ”. web Sportiva: p. 3 2022年3月9日閲覧。
- ^ “ごあいさつ -感謝と思いやり-”. 水谷フェニックス. 2022年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月9日閲覧。
- ^ “2022スタッフ”. 水谷フェニックス. 2022年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月9日閲覧。
- ^ “連盟役員”. 富士見市少年野球連盟. 2022年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月9日閲覧。
- ^ “日本ハム元スカウト今成氏通夜に1000人 阪神・和田TA「まだ信じられない」”. デイリースポーツ online. (2022年3月7日) 2022年3月9日閲覧。