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井野修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井野修(いの おさむ、1954年4月24日 - )は、群馬県伊勢崎市出身のプロ野球審判員。いせさき教育アンバサダー。

セ・パの審判部が完全統合された2011年(平成23年)より、審判長を務め、2014年(平成26年)1月から日本野球機構(NPB)参与・審判技術委員長兼野球規則委員となる。現役時代の審判員袖番号1

来歴・人物

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伊勢崎市立宮郷小学校宮郷中学校[1]群馬県立前橋高等学校から神奈川大学在籍中の1976年(昭和51年)にセントラル・リーグ審判部入局し、大学在籍中の1年間は学生と審判員の“二刀流”であった。 1978年(昭和53年)4月2日神宮球場でのヤクルトスワローズ広島東洋カープ戦、レフト側外審で1軍初出場。

1989年、35歳にして日本シリーズ初出場するなど、若い頃から順調にキャリアを重ね、1997年(平成9年)には43歳にして副部長、2003年(平成15年)から小林毅二前審判部長の後を継ぎ部長に就任。2009年(平成21年)は79試合に出場し、2009年(平成21年)シーズン終了時点での通算出場試合数は2902試合、オールスター出場6回(1986年、1989年、1992年、1994年、1996年、1998年)、日本シリーズ出場12回(1989年、1991年、1992年、1994年〜2001年、2005年)。

オールスターでは1989年、1992年、1996年のいずれも第1戦で球審。

日本シリーズでは、1996年(平成8年)に第1戦、1997年(平成9年)・1999年(平成11年)に第2戦、1994年(平成6年)に第3戦、1989年に第4戦、1992年(平成4年)・1998年(平成10年)・2000年(平成12年)に第5戦の球審をそれぞれ担当している。21世紀に入ってからは2001年(平成13年)、2005年(平成17年)の日本シリーズに出場したが、球審を務めることはなかった。

2023年2月、独立リーグ四国アイランドリーグplusおよびベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)共通の審判アドバイザーに就任することが発表された(谷博と同時就任)[2][3]

審判出場記録

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  • 初出場:1978年4月2日、ヤクルト‐広島2回戦(神宮)、右翼外審
  • 出場試合数:2902試合(セ・リーグ2754、交流戦84、日本シリーズ50、オールスター14)
  • オールスター出場:6回(1986年、1989年、1992年、1994年、1996年、1998年)
  • 日本シリーズ出場:12回(1989年、1991年、1992年、1994~2001年、2005年)

(記録は2009年シーズン終了時)

脚注

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  1. ^ 井野 修 さん(プロ野球審判員)”. 教育アンバサダー. 伊勢崎市. 2020年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月21日閲覧。
  2. ^ 審判部アドバイザー就任のお知らせ - 四国アイランドplusリーグニュースリリース(2023年2月1日)2023年2月1日閲覧。
  3. ^ 審判部アドバイザー就任のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2023年2月1日)2023年2月1日閲覧。

関連項目

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