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中御所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中御所
長野バスターミナル(岡田町)
長野バスターミナル(岡田町)
中御所の位置(長野市内)
中御所
中御所
中御所・大字中御所の位置
北緯36度38分16.49秒 東経138度10分49.67秒 / 北緯36.6379139度 東経138.1804639度 / 36.6379139; 138.1804639
日本
都道府県 長野県
市町村 長野市
地区 第五地区
人口
2023年令和5年)3月1日現在)
 • 合計 3,591人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
通称町名ごとに設定
市外局番 026
ナンバープレート 長野
ウェブサイト http://nakagosyo.web.fc2.com/
※座標は中御所公民館付近

中御所(なかごしょ)は、長野県長野市の市街地南西部にある地区。住居表示を施行した中御所一・二・三・四・五丁目のほか、中御所町四丁目、大字中御所(岡田町)がある。

全域が、長野市役所(本庁直轄)第五地区に属する。

概要

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中御所交差点

住居表示未実施の大字中御所(岡田町)・中御所町四丁目は長野駅の北西に広がり、中御所一-五丁目は長野駅の南西に広がる。西縁を裾花川、南縁を犀川が流れている。地域の中央部を県庁通り、東部を北国街道(荒木通り)が南北に貫き、信越本線が東西に横切る。

町名は、鎌倉時代に現在の中御所二丁目にあった信濃国国衙後庁-御庁)の守護所「中御所(なかのごしょ)」に由来する。この中御所の名は、1197年建久2年)に源頼朝が善光寺参詣の際、領主漆田氏が館を造営して頼朝を迎えたことに起因するという。同様の由来を持つ町に問御所町がある。

1938年昭和13年)に主に信越本線より南の区域について中御所町一・二・三・四丁目と町名を変更し、1988年(昭和63年)に、ほぼ同様の区域について住居表示を実施して中御所一・二・三・四・五丁目に町名変更した。こうした経緯のため、中御所交差点北西角の一区画のみに中御所町四丁目という町名が残されている。

沿革

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大字中御所・中御所町四丁目・中御所一-五丁目の範囲は、概ね1879年明治12年)時点の上水内郡中御所村の範囲に相当する。

旧中御所村(中之御所村)〜芹田村の歴史
長野市中御所の歴史

中御所(住居表示施行地区)

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中御所一・二・三・四・五丁目(なかごしょ-)は、長野駅の南西部に広がる地区。郵便番号380-0935

裾花川県庁通りに沿った細長い地区である。西端を裾花川、南端を犀川が流れる。地区北部を信越本線北陸新幹線が通過する。周囲は以下の大字・町と接する。

一丁目は信越本線の北側に位置し市街地に近いものの、駅前の喧騒をあまり感じさせない静かな住宅街となっている。ターミナル南通りや県庁通りなどの大通り沿いにはオフィスビルなどが軒を連ねる。

二丁目〜五丁目は信越本線の南側に位置する。三丁目には中小の工場が多いが、そのほかは住宅街が広がる。

地区内の人口および世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[2]

  世帯数 人口
中御所一丁目 328世帯 610人
中御所二丁目 359世帯 714人
中御所三丁目 187世帯 321人
中御所四丁目 330世帯 646人
中御所五丁目 298世帯 600人
1,502世帯 2,891人

交通

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路線バス

県庁通りを走るアルピコ交通川中島バス)の以下の路線系統が利用できる。

施設

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中御所一丁目

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中御所二丁目

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  • 御所天満宮、八幡神社 - 冬には近隣の受験生が多く訪れる
    • 社地 - 東西二間三尺(約3m90cm)、南北二間三尺(約3m90cm)、面積六歩(約20平方メートル)
    • 祭神 - 誉田別尊
    • 祭日 -11月15日
    • 勧請 - 年月不詳
    • 御所遺跡(中御所居館跡) - 御所天満宮を中心に広がる遺跡。漆田氏の「中御所(なかのごしょ)」の跡
  • 観音寺
    • 宗派 - 浄土宗大英寺末
    • 本尊 - 馬頭観世音(頼朝の守仏、髻馬頭観世音菩薩)
    • 相殿 - 聖観世音(漆田秀豊守仏)
    • 山号 - 明助山 
    • 縁起 - 建久年間(1190~99)漆田氏の開基創建という。また、建久8年頼朝が善光寺に参詣し、この地に滞留したおり、「この地に止まり、永く末世の衆生を済度すべし」とお告げがあったので頼朝は、ここに一宇を草創し、髻観音と聖観音を安置し、自ら「明助山普門院観音寺」と名付けたという。[3]
    • 縁日 -8月9日は観音の縁日で「四万八千日」といい、参詣者でにぎわう。この日に参詣すると4万8000日参詣した功徳があるという[4]

中御所三丁目

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  • 長野公共職業安定所(ハローワーク長野)
  • 大日本法令印刷 本社
  • 長野理容美容専門学校

中御所四丁目

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中御所五丁目

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中御所町四丁目

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中御所町四丁目(なかごしょまちよんちょうめ)は、長野駅の西にある町。郵便番号380-0934

周囲は以下の大字・町と接する。

前述の通り、1938年昭和13年)に定められた中御所町一・二・三・四丁目のうち、1988年(昭和63年)の住居表示によって一〜三丁目が消滅したことで、四丁目一区画のみ取り残された町である。

地区内の人口および世帯数は、10世帯 16人(令和5年3月1日現在)[2]

交通

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町内に公共交通機関はないが、近くにある長野バスターミナルから多くのバス路線が利用できる。

施設

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岡田町

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岡田町(おかだまち)は、長野県庁の南に広がる町。郵便番号380-0936

周囲は以下の大字・町と接する。

大字中御所に属する町(通称名)である。長野市街地内の町(通称名)については住所表示の際に大字(「大字中御所」など)を省くことが多く、郵便番号もそれぞれ単独で与えられている[5]。また、町名(通称名)のほか「山王」「鶴田」といった小字があるが、これらは原則用いない(省略する)ことが慣例となっている[6](ただし、「山王」については小学校名にもなっていることもあって、周辺施設の名称によく用いられる。山王の由来は戦国期善光寺別当であった栗田氏の飛地領に築かれていた出城跡に江戸時代に山王社が祭られていたためで、明治期に神社は栗田城跡に移されて現在はない)。

つまり、長野県バス協会の住所を例にとると以下の3通りの表し方がある。

  • 長野市大字中御所岡田町560-4
    - 慣例による(大字を省略しない)表記
  • 長野市岡田町560-4
    - 慣例による(大字を省略した)表記
  • 長野市大字中御所字鶴田560番地4
    - 登記などに用いる表記

地区内の人口および世帯数は、397世帯 684人(令和5年3月1日現在)[2]

交通

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路線バス

町内に長野バスターミナルがあり、市内を走るアルピコ交通(通称・川中島バス)の路線の多くが利用できる。詳細は長野バスターミナルを参照。

このほか、県庁通りを走るアルピコ交通(川中島バス)・ぐるりん号の以下の路線系統が利用できる。

施設

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長野放送(NBS)本社
八十二銀行本店

脚注

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  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、485頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
  2. ^ a b c 長野市. “長野市町別人口及び世帯数”. 長野市. 2023年3月17日閲覧。
  3. ^ 『長野市誌 第八巻 旧市町村史編』長野市、1997年10月16日、202頁。 
  4. ^ 『長野市誌 第8巻』東京法令出版、1997年10月16日、202頁。 
  5. ^ 長野市街地においては、大字(長野・南長野・鶴賀・中御所)を省いた住所表示が半ば慣例化しており、郵便番号も個々の町名に対して与えられている。
  6. ^ 分かりづらい! 長野市の複雑な住所表記[リンク切れ](MSN産経ニュース、2009年1月30日)

外部リンク

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