三滝橋 (広島市)
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三滝橋 | |
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下流より | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 |
広島県広島市西区 左岸:三滝町 - 右岸:西区三滝本町 |
交差物件 |
太田川水系太田川 (太田川放水路) |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 広島市道西1区三篠三滝線[1] |
管理者 | 広島市 |
施工者 | 上部工 : 高田機工 [2] |
竣工 | 1962年(昭和37年)[3] |
座標 | 北緯34度24分56.4秒 東経132度26分53.2秒 / 北緯34.415667度 東経132.448111度 |
構造諸元 | |
形式 |
7径間ゲルバー鈑桁橋[2] (径間は合成桁)[2] |
材料 | 鋼橋 |
全長 | 272.0m [2] |
幅 | (幅員)6.0m [2] |
最大支間長 | 48.0m [2] |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
三滝橋(みたきばし)は、広島県広島市の太田川(太田川放水路)に架かる道路橋。
概要
[編集]西詰交差点上流側に三滝駅があり、徒歩で2分ぐらいの位置にある[3]。上流に広島県道277号古市広島線筋の新庄橋、下流にJR可部線の鉄橋がある。
三瀧寺の参道筋に古くからあった橋で、かつては広島デルタ最西側にあった山手川(拡幅され太田川放水路に)に架かる橋であった。1932年(昭和7年)太田川放水路工事が決定した[4][5]。ただし実際に工事が進められたのは戦後からである[5]。
1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下の際には崩壊はしなかった[6]。被爆時渡っていた人物が爆風で10mほど飛ばされたという[7]。その後避難所となった三瀧寺[8]を目指し多くの被爆者がこの橋を渡った。のちに三滝橋付近にも臨時救護所が設けられた[8]。被爆ピアノ「明子さんのピアノ」の元所有者は、当時八丁堀にあった広島財務局で被爆し、逃げたが三滝橋近くで力尽き蹲っていたところ、父親に発見され翌日自宅で死去した[9]。
その後放水路改修工事にともない、1961年[2]に現在のものに架けられた。他の橋と比べ細い橋脚が特徴[3]。東側の河川敷は憩いの場として活用されている[3]。この付近の放水路は汽水域にあたり、様々な魚類が生息し、釣り大会が行われている[10]。
脚注
[編集]- ^ ひろしま地図ナビ
- ^ a b c d e f g “鐵骨橋梁年鑑 昭和38年度版(1963)” (PDF). 日本橋梁建設協会. p. 26-27. 2022年3月6日閲覧。
- ^ a b c d “太田川放水路フォトで川くだり3”. 広島市西区コミュニティ交流協議会. 2022年3月6日閲覧。
- ^ 『太田川改修計畫概要』(PDF)(プレスリリース)内務省大阪土木出張所、1936年6月 。2022年3月14日閲覧。
- ^ a b 秋竹敏実、藤吉三郎「太田川分流工事の概要について」(PDF)『土木学会誌』第46巻第9号、土木学会、1961年、15-20頁、2022年3月14日閲覧。
- ^ 原爆戦災誌 1971, p. 298.
- ^ 原爆戦災誌 1971, p. 299.
- ^ a b 原爆戦災誌 1971, p. 301.
- ^ “平和を奏でる明子さんのピアノ 第2部 日記は語る <5> 原爆”. 中国新聞 (2020年6月24日). 2022年3月6日閲覧。
- ^ “歴史ガイドブックみたき” (PDF). 広島西市役所. 2022年3月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 広島市『広島原爆戦災誌 第2巻』(PDF)(改良版)、2005年(原著1971年) 。2022年3月6日閲覧。