三沢市立第二中学校
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三沢市立第二中学校 | |
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北緯40度41分5.92秒 東経141度24分25.1秒 / 北緯40.6849778度 東経141.406972度座標: 北緯40度41分5.92秒 東経141度24分25.1秒 / 北緯40.6849778度 東経141.406972度 | |
過去の名称 | 大三沢町立第二中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 三沢市 |
学区 |
南山1〜4丁目、大津1〜4丁目、四川目1〜6丁目 五川目1〜4丁目、前平1〜3丁目、三川目1〜4丁目 鹿中1〜4丁目、淋代1〜6丁目、港町、横沢、北山 上野、下野、向平、下堀、山下、水筒、中平 下沢、園沢、山ノ神、上屋敷、前平 南山の一部、堀口の一部 |
併合学校 |
三沢中学校 三川目中学校 |
設立年月日 | 1952年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C102210000694 |
中学校コード | 020074 |
所在地 | 〒033-0022 |
青森県三沢市大字三沢字園沢97-2 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
三沢市立第二中学校(みさわしりつ だいにちゅうがっこう)は、青森県三沢市大字三沢字園沢にある公立中学校。
元々は浜三沢地区に建っていたが、三沢基地を離着陸する軍用機の騒音のため移転。四川目地区の集団移転先の大津地区の隣り、園沢地区に1998年(平成10年)1月16日を以って現在の校舎に移った。
周辺は田畑と住宅が広がり、隣には同じく移転してきた三沢小学校が建つ。
地元では、二中(にちゅう)と呼ばれる。
沿革
[編集]- 1952年(昭和27年)4月1日 - 三沢中学校と三川目中学校が統合し、大三沢町立第二中学校開校。
- 1958年(昭和33年)9月1日 - 大三沢町の市制施行(市制施行後は三沢市に改称)により、三沢市立第二中学校と改称。
- 1962年(昭和37年)4月30日 - 鉄筋コンクリート完全防音校舎第一期工事二教室完成。
- 1963年(昭和38年)11月30日 - 第二期工事完成。
- 1979年(昭和54年) - 第二中学校がコンター指定される。
- 1994年(平成6年)9月 - 三沢飛行場を離陸した航空自衛隊三沢基地所属のT2練習機が離陸直後に後部座席のキャノピー(円盤)が外れ、基地東側の水田に落下。この場所が三沢小学校から約500m地点だったため、児童生徒やその保護者及び学校関係者らは、不安を募らせ、移転を要望。
- 1996年(平成8年)9月 - 新校舎建設工事開始。
- 1997年(平成9年)12月 - すべての工事が完了。
- 1999年(平成11年)9月4日 - 新校舎落成式記念式典挙行。
- 2002年(平成14年)11月30日 - 創立50周年記念式典挙行[1]。
部活
[編集]- 野球部
- サッカー部
- 卓球部
- 柔道部
- 吹奏楽部
- テニス部
- ソフトボール部
- バレー部
愛好会 水泳愛好会
出身者
[編集]- 貴ノ浪貞博(元大相撲力士・大関)
- 当校の相撲部に在籍し、卒業後に角界入りした。
- 大野果歩(バレーボール選手 - 東レアローズ)
- 大野果奈(バレーボール選手 - NECレッドロケッツ)
- 種市篤暉(プロ野球選手 - 千葉ロッテマリーンズ )
脚注
[編集]- ^ 「三沢市史 続通史編」500頁「年表」より。
参考資料
[編集]- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 中学校」892頁「(三沢)第二中学校」(1963年の項まで)
- 『三沢市史 続通史編』(三沢市・2008年12月1日発行)「第三編 平成を迎えて~二十年のあゆみ~・第七章 基地とのかかわり・第三節 事故、騒音対策と集団移転・3 集団移転」の383頁~384頁「三沢小学校と第二中学校移転」(1979年の項から)