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三宅則義

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三宅 則義(みやけ のりよし、1899年6月19日[1] - 1979年9月3日[2])は、日本税理士政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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愛知県出身[2]1923年日本大学商学部卒[2]計理士税理士司法書士の業務に就く[2]。全日本計理士協会理事、日大学士会理事長、東京都立第五実業学校高等科講師、日大講師、日本監査協会理事長、東京税理士会副会長、日本税理士会常務理事、全国計理士会議長を務める[2]

1943年の東京都発足直後の東京都会議員選挙に立候補したが[3]、落選した。1946年第22回衆議院議員総選挙愛知2区(大選挙区)から日本自由党公認で立候補するが次点で落選[4]。翌1947年第23回衆議院議員総選挙において愛知4区から日本自由党公認で立候補するも落選[5]1949年第24回衆議院議員総選挙民主自由党から立候補して当選した[5]。この間民主党政調会決算部長、総務委員を務めた[2]1952年第25回衆議院議員総選挙で落選[5]1955年第27回衆議院議員総選挙日本民主党から立候補して落選した[5]

このほか東京、日本各税理士会会長、自由民主党前国会議員会常務理事、日本監査協会会長を務めた[2]。1979年死去。

著作

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  • 『三宅会計学講義 : 誰れにも、わかる実際と応用』東京泰文社、1934年。

脚注

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  1. ^ 『大衆人事録』第19版、東京篇、帝国秘密探偵社、793頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』619頁。
  3. ^ 『朝日新聞』1943年9月8日2面、「都会議員立候補者一覧表」。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』148~149頁。
  5. ^ a b c d 『朝日選挙大観』513頁。

参考文献

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  • 『大衆人事録』第19版、東京篇、帝国秘密探偵社、1956年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。