一身田町
表示
いしんでんちょう 一身田町 | |
---|---|
廃止日 | 1954年1月15日 |
廃止理由 |
編入合併 河芸郡一身田町 → 津市 |
現在の自治体 | 津市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東海地方、近畿地方 |
都道府県 | 三重県 |
郡 | 河芸郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,006人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
津市 河芸郡栗真村、黒田村、大里村 安濃郡安濃村 |
一身田町役場 | |
所在地 | 三重県河芸郡一身田町 |
座標 | 北緯34度45分36.7秒 東経136度30分28.4秒 / 北緯34.760194度 東経136.507889度座標: 北緯34度45分36.7秒 東経136度30分28.4秒 / 北緯34.760194度 東経136.507889度 |
ウィキプロジェクト |
一身田町(いしんでんちょう)は三重県河芸郡にあった町。現在の津市一身田各町にあたる。
地理
[編集]- 山岳:見当山
- 河川:志登茂川、毛無川、横川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、奄芸郡一身田村・豊野村・平野村・大古曽村・中野村・上津部田村および窪田村の一部の区域をもって一身田村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が河芸郡に変更。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 町制施行して一身田町となる。
- 1954年(昭和29年)1月15日 - 津市に編入。同日一身田町廃止。
津市との合併
[編集]津市との合併は1940年代頃から議論があり、当時は時期尚早との判断が下されていたが、近い将来合併するものという認識は一身田町民の間で共有されていた[1]。その後、町村合併促進法施行を受け合併機運が高まり、1953年(昭和28年)11月25日に合併協定書が津市長と一身田町長の間で取り交わされ、翌11月26日に一身田町議会が、11月27日に津市議会が合併を決議し、1954年(昭和29年)1月15日に一身田町は津市に編入された[1]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]村域を日本国有鉄道の参宮線(現・紀勢本線)が通過したが、駅は所在しなかった(一身田駅は大里村に所在)。また、現在は旧村域に伊勢鉄道伊勢線の東一身田駅が所在するが、当時は未開業。
施設
[編集]- 真宗高田派本山専修寺
- 高田中学校・高等学校
- 一身田外4ケ町村学校組合立一身田中学校
- 一身田町立一身田小学校
- 一身田郵便局
- 一身田警察署
- 下津醤油株式会社
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 岩田 (2010):25ページ
- ^ 『東京横浜三重県人評伝』73 - 74頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月11日閲覧。
- ^ 赤松徹眞 (2013年10月25日). “平松令三先生を悼んで”. 本願寺史料研究所報45号. 2016年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 24 三重県』。
- 蒲生隆宏編著『東京横浜三重県人評伝』三重県人雑誌社、1930年。
- 岩田俊二『津市 地方都市の建設史』農林統計出版、2010年3月15日、173p. ISBN 978-4-89732-188-2。