コンテンツにスキップ

ヴァルラム1世 (リンブルフ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァルラム1世
Walram I.
リンブルフ伯
在位 1065年 - 1082年

死去 1082年以前
配偶者 ユッタ(ユーディト)・フォン・ニーダーロートリンゲン
子女 ハインリヒ1世
コンラート
家名 リンブルフ家
父親 アルロン伯ヴァルラム1世
母親 アーデルハイト・フォン・オーバーロートリンゲン
テンプレートを表示

ヴァルラム1世(Walram I., ? - 1082年以前)は、アルロン伯(2世)およびリンブルフ伯(1世、在位:1065年 - 1082年)。アルロン伯ヴァルラム1世と上ロートリンゲン公ディートリヒ1世の娘アーデルハイトの息子。リンブルフ城を建設したともされる[1]アルデンヌ=ルクセンブルク家下ロートリンゲン公フリードリヒの娘ユッタ(ユーディト)と結婚した。

出自

[編集]

リンブルフ=アルロン家の初期の系譜としてアルロン伯ヴァルラム1世 - アルロン伯ヴァルラム2世 - ハインリヒ1世と伝わる[1][2][3]。初代リンブルフ伯(1世)となったアルロン伯ヴァルラム2世とリンブルフの女子相続人ユッタ・フォン・ニーダーロートリンゲンの息子がハインリヒ1世である。

一方でアルロン伯ヴァルラム2世が生存していた1061年ごろの記録に、「リンブルフ伯ウド(egregrius comes Udo de Lemborch)」という名が確認される。このためヴァルラム2世とウドは同一人物と考えられ、しばしばヴァルラム=ウドの名で記されることがある[4][5]

しかし、他の文献には異なった系譜が示されている[6]。これによるとアルロン伯ヴァルラム2世とウドは別人であり、ヴァルラム2世はアルロン伯でユッタの夫であるが、リンブルフ伯とは記されていない。ウドは1061年ごろのリンブルフ伯で下ロートリンゲン公フリードリヒの弟ザルム伯ギゼルベルトの娘ユッタと結婚したという[6]。そしてアルロン伯領とリンブルフ伯領の統合は初代リンブルフ伯(おそらくウド)の息子ハインリヒ1世がアルロン伯ヴァルラム2世の女子相続人と結婚したことによりなされたという。そしてこの女子相続人が(アーデルハイト・フォン・ポッテンシュタインではなく)、ハインリヒ1世の子供達の母親であるという[6]

子女

[編集]

リンブルフ伯ヴァルラム1世(あるいはウド)の子として以下の2男がいる。

  • ハインリヒ1世(1059年 - 1119年頃) - リンブルフ伯、下ロートリンゲン公
  • コンラート・フォン・メルハイム(1088年以降没)

脚注

[編集]
  1. ^ a b Grote 1877, Tafel 199.
  2. ^ Bahnson 1912, p. 14.
  3. ^ Freytag von Loringhoven 1964, Tafel 107.
  4. ^ Brandenburg 1998, p. 67, Tafel 33.
  5. ^ Glocker 1989, p. 343.
  6. ^ a b c Schwennicke 1999, Tafel 229.

参考文献

[編集]
先代
リンブルフ伯
1065年 - 1082年
次代
ハインリヒ1世