ロニー=スー=ボワ
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Rosny-sous-Bois | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | セーヌ=サン=ドニ県 |
郡 (arrondissement) | ボビニー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 93064 |
郵便番号 | 93110 |
市長(任期) |
クロード・カピヨン (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | メトロポール・デュ・グラン・パリ |
人口動態 | |
人口 |
41 421人 (2008年) |
人口密度 | 7 009人/km2 |
住民の呼称 | Rosnéens/Rosnéennes |
地理 | |
座標 | 北緯48度52分00秒 東経2度29分00秒 / 北緯48.8667度 東経2.4833度座標: 北緯48度52分00秒 東経2度29分00秒 / 北緯48.8667度 東経2.4833度 |
標高 |
平均:?m 最低:45m 最高:116m |
面積 | 5.91km2 (591ha) |
公式サイト | http://www.mairie-rosny-sous-bois.fr |
ロニー=スー=ボワ (Rosny-sous-Bois)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、セーヌ=サン=ドニ県の都市。
地理
[編集]パリの東部に位置し、ポルト・ド・バニョレ(fr、20区)よりおよそ9km離れている。ボビニーの8km南東、マルヌ=ラ=ヴァレの4km西である。
歴史
[編集]時代によって地名は移り変わった。1163年にはRedomatumやRodoniacum、13世紀にはRooneio、Roonio、Rodonio、1344年にはRosny、15世紀にRooniaco、1740年にはRôniであった。
メロヴィング朝時代に村があったことは、サント=ジュヌヴィエーヴ教会近くから出土した遺跡で証明されている。
1163年当時、村はパリのサント=ジュヌヴィエーヴ修道院に属していた。修道院は毎年フランス王に6羽の白いガチョウを納めていた。1291年に書かれた写本によると、聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物は861年のノルマン人襲来の際ロニー=スー=ボワに隠されていたという。
少なくとも1640年代から石膏がロニー=スー=ボワで採掘されていた(現在のロシュブリュヌ通り)。この採掘は20世紀に入って廃止された。採掘現場の上にたった家が崩壊するなど、傷跡も残した。古い石切り場は現在市立公園となっている。
1852年にパリ=ミュルーズ間の鉄道路線が開通すると、1856年にロニー=スー=ボワに駅ができた。1920年代、労働者階級用の集合住宅がつくられた。1973年、ロニー2という大ショッピングモール(fr、パリ東部では第2位の規模)が誕生した。
交通
[編集]- 道路 - A-3、A-86
- 鉄道 - RER E線ロニー=スー=ボワ駅、ロニー-ボワ=ペリエ駅
姉妹都市
[編集]出身者
[編集]- フレデリク・ジョシネ:柔道家
- イザベル・ゲラン:バレエダンサー
ノワジー=ル=セック | ボンディ | ヴィルモンブル | ||
モントルイユ | ヌイイ=プレザンス | |||
ロニー=スー=ボワ | ||||
フォントネー=スー=ボワ |