コンテンツにスキップ

ラモン・デッカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラモン・デッカー
基本情報
通称 地獄の風車
ザ・ダイアモンド
身長 172cm
体重 60kg〜72kg(現役時)
誕生日 (1969-09-04) 1969年9月4日
出身地 オランダの旗 オランダブレダ
死没日 (2013-02-27) 2013年2月27日(43歳没)
スタイル キックボクシングムエタイ
テンプレートを表示

ラモン・デッカー(Ramon Dekkers, 1969年9月4日 - 2013年2月27日 )は、オランダ出身の元格闘家

キックボクシングおよびムエタイで8度も世界王者に輝き、格闘王国オランダが生んだキック界の至宝と評された。KOを恐れないフルスイング回転の攻撃と鬼気迫る闘志から「地獄の風車」と呼ばれ、その驚異のKO率からムエタイの本場タイでは「ザ・ダイアモンド」とも称された。

来歴

[編集]
  • 1986年、16歳でコー・ヘマーズに入門(ヘマーズはオランダ・キックボクシング創成期の選手で、長い戦歴を誇るデッカーの唯一のトレーナー。後にデッカーの母親と結婚し、義理の父子となる)。デッカーとヘマーズは、2人で試行錯誤しながらトレーニング方法を作り上げることからスタートした。
  • 入門から数か月後、KO勝利でプロデビュー。
  • 1987年11月、年齢制限の特例を受け、17歳でタイトルマッチに挑戦し、オランダ王者となった。
  • 1988年、2つの選手権でヨーロッパ王者となった。
  • 1989年12月、オランダにてマンゴンダム・シットチャンを激戦の末に僅差判定で破り、IMTA世界ライト級王者になる。
  • 1990年2月、オランダにてタイルンピニー現役フェザー級1位(前王者)ナンポン・ノンキーパーフユットを判定で下し、IMF世界ライトウェルター級王座を獲得。再戦で敗れるも、以後、オランダで現役ルンピニージュニアライト級王者のチェアリー・ソー・ワニットを1RKO、ルンピニージュニアフェザー王者スーパーレック・ソンイーサンと互角の末、判定負け。9月15日、ドイツでラジャダムナンジュニアライト級2位ソンバット・ソー・タニクンに判定勝ちするなど、ムエタイ一流選手と2勝2敗のその功績が認められ、同年11月にルンピニー・スタジアム・ライト級王座への挑戦が実現する(王者イッサラー・サックリーリンに判定負け)。外国人選手がムエタイ王座に挑むのが許されたのは、実に日本の藤原敏男以来の快挙であった。この後、同国の将来有望な選手の称号である「ダイアモンド」と呼ばれた。
  • 1992年、ルンピニー・スタジアムにて、現役ライト級王者のコーバーン・ルークチャオメーサイトーンを1RKOする。タイで年間優秀選手の特別賞に選ばれた。同国で最も有名な外国人と言われた。以後も日本を含む多くの国の大会で活躍を続けた。
  • 1997年3月23日、オランダライアン・シムソンと対戦し、2R終了時に左目負傷によりTKO負け。
  • 2001年3月18日、オランダ「2H2H」で引退興行。マリノ・デフローリンを相手にKO勝利。華々しいエンディング・セレモニーに送られて引退。その後はゴールデン・グローリーで打撃コーチを務めながら、自らも総合格闘技の練習に取り組んだ。
  • 2005年3月26日、総合格闘技大会HERO'Sで現役復帰。須藤元気と対戦するも、ヒールホールドで一本負け。
  • 2005年7月20日、「K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント」のスーパーファイトに出場し、ドゥエイン・ラドウィックと対戦。1Rに左ストレートでダウンを奪い、3R判定3-0で勝利した。本人によれば、試合前のウォーミングアップで右腕を痛めたという。
  • 2013年2月27日、サイクリングトレーニングをしている最中に突然の体調不良に陥り、そのままトンネルに激突し昏倒。同伴の仲間が救急に連絡し急遽ヘリコプターによって病院に搬送されたが、死亡が確認された(43歳没)[1]

主な戦績

[編集]

キックボクシング

[編集]
キックボクシング 戦績
206 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
186 95 2
18
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ユーリ・メス 3R終了 判定 It's Showtime(K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM) 2006年5月13日
ドゥエイン・ラドウィック 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【スーパーファイト】
2005年7月20日
マリノ・デフローリン 4R 0:18 TKO 2H2H - Simply The Best【ムエタイルール】 2001年3月18日
新田明臣 5R終了 判定0-1 K-1 J・MAX 2000年11月1日
× 小比類巻貴之 1R終了時 TKO(右脛負傷) K-1 RISING 2000 2000年1月25日
緒形健一 4R 2:58 KO(フック連打) シュートボクシング『GROUND ZERO TOKYO』
【WPKL世界ジュニアミドル級タイトルマッチ】
1998年11月14日
吉鷹弘 5R終了 判定3-0 Shoot the Shooto XX【キックボクシングルール】 1998年4月26日
× ダニー・ビル 5R終了 判定 フランス 1997年11月22日
ハッサン・カスリオイ 3R KO Night of Dynamite 1997年10月11日
× ライアン・シムソン 2R終了時 TKO(左目負傷) オランダ 1997年3月23日
港太郎 1R 1:33 KO マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 1995年6月2日
× サックモンコン・シットチューチョーク 判定 ルンピニー・スタジアム 1991年11月26日

総合格闘技

[編集]
総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
1 0 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 須藤元気 1R 2:54 ヒールホールド HERO'S 2005年3月26日

獲得タイトル

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 伝説のキックボクサー、ラモン・デッカーが事故死”. eFight (2013年2月28日). 2018年3月22日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]